ドラマ「善徳女王」のファンブログです

    司量部員mukuge百済へ行く その1
    とある日、陛下と司量部令のいる陛下の執務室に呼ばれた私は、ある王命を受けました。
    「“扶余薯童蓮祭”なるものが行われる扶余(プヨ)に潜入し、百済の様子を偵察せよ」

    というわけで7月某日、ソウル南部バスターミナルからバスで約2時間、百済最後の都泗泚(サビ)があった扶余にやってまいりました。

    早速ですが、今回もいきなり事件です!(笑)
    蓮は午前中しか咲かないってことで朝一便6:30のバスに無事に乗れたのはいいんですが、降りてタブレットに保存した地図を出そうとしたら、保存してきたはずの扶余の地図が…ない!(爆)
    今回はwifi借りて行かなかったのでネットは繋がらないし、だれもいないしさてどうしよう?まっでもなんとかなるかと、とりあえず勘を頼りに歩き始めてみました。
    あっ、勘ではあるんですけど、勘の中にも一応根拠がありまして(笑)、事前に地図を少し見ていたんですが、プヨの市街地って大きな銅像が真ん中にあるロータリーが3つあって、そのうちの2つを車窓から見ていたんです。
    最初は国宝の香炉、二つ目はあの真興帝と因縁の深い聖王の銅像です。
    プヨの旅 聖王像
    これはあとから撮ったものですが、この御方が聖王様です。
    そして三つ目はあの赤カブトの男ケベク将軍の像なのですが、ここからケベク将軍像のある方向へ進めば蓮祭の行われている宮南池に辿り着けるはず…
    プヨの旅 ケベク将軍像
    やったぁ!いました、ケベク将軍!方向あってた!
    トンマンは道に迷った時北斗七星を目指して歩きますが、mukugeは銅像を目指して歩くというw
    危機かと思いましたが、なんとかなるもんです(笑)

    プヨの旅 ソドンヨ公園
    そして到着しました“宮南池”。
    宮南池は百済時代の王宮の別宮があった場所に作られた朝鮮半島最古の人工池ですが、百済が滅亡した際には新羅の“雁鴨池”のように荒れ果ててしまったようですが、徐々に再現され、現在は“薯童公園”として整備されています。
    その薯童公園入口にどどーんと立てられたソドンとソンファの愛の碑とでもいうようなこのオブジェ。
    後の武王ことソドンについてはドラマ「薯童謡(ソドンヨ)」でも取り上げられていたのでご存知だとは思いますが、ここで薯童伝説について出店のテントに貼られていた漫画を元におさらいを少々いたします。

    プヨの旅 ソドン物語1
    百済法王の時代に池のほとりで暮らしていた女人が池に住む竜神と情を通じ、男の子を出産しました。
    男の子は生活のため芋を売り、 薯童(ソドン/芋を売る子供)と呼ばれていました。
    成長した薯童は当時美人として名高かった新羅の公主である善花(ソンファ)の歌薯童謡(ソドンヨ)を作り、芋を配って子供達に歌わせました。

    プヨの旅 ソドン物語2
    その歌が「善花公主は夜毎に薯童を訪ねる」というなんともふしだらな内容だったため、これを伝え聞いた新羅王が怒り、善花を追放してしまいます。薯童は追放された善花を連れて、百済で共に暮らします。
    薯童は黄金をたくさん掘り出し、それを法師が神通力で新羅に運び、新羅王は感心しました。
    そして徐々に人心を掴んだ薯童は跡継ぎのいなかった法王の跡を継ぎ百済の王に、善花は王妃となったというお話です。

    この漫画でえらーく激怒している新羅王はトンマンパパ真平王です。つまりソンファはチョンミョンとトンマンの妹という設定になってるんですよね、この伝説では。まぁあの美人姉妹の妹ならそりゃ美人だろうて。

    プヨの旅 宮南池
    さて、それでは宮南池へ。
    池の中央に浮かんだ島にある東屋や、その島にかかる長い橋の風景、どこかで見たことがあると思ったら、「ケベク」にてよく出てきた場所ですね。ケベクパパがサテク妃を拉致して立て篭もっていたのがここだったような気がします。
    この東屋の名前が“抱龍亭”というらしいのですが、伝説そのまんまの捻りのないネーミングにちょっとニヤニヤしちゃいましたw
    っていうか、蓮は?一体どこに?
    来る前の私のイメージでは、ここの池が蓮で埋めつくされていると勝手に想像してたんですが、ここには蓮は無いんですねー。抱龍亭でお酒を飲みながら蓮を眺めたら素敵v…なんて勝手に脳内宴会してただけに、ちょっと残念だったり。

    プヨの旅 ハス畑
    しかし、宮南池の周りの池たちにはこんなに蓮が咲いておりましたー♪
    ちょっと朝早すぎて蕾のものも多かったですけど、ピンクに白にとても綺麗です。

    プヨの旅 ハス
    綺麗な蓮の花のアップv
    植物分類的な詳しいことはよくわかりませんが、見た目、昨年行った埼玉の「古代蓮の里」に咲いていた古代蓮(過去記事「さいたまがアツイ!」)にそっくりです。古代蓮は1400~3000年前の遺跡部分から発掘された種子から育った品種ですが、日本と百済は友好が深かったので、蓮の花のやりとりでも交流があったのかもーなんてロマンが広がります。

    プヨの旅 ハートソドンとソンファ
    そして蓮の花畑とともに至るところにあったのが、ソドンとソンファのかわいいオブジェ。ハートのベンチがかわいらしいv
    他にもソドンとソンファの愛の道というゲートがかかっている道があったり、とにかくここはソドン&ソンファのカップル押しが激しかったですねー。

    プヨの旅 愛のダーツゲーム
    蓮の花をテーマに自然の美しさを知らせ、野生で咲く花の大切さを考えてみるということをコンセプトに毎年行われている蓮祭ですが、4日間の開催期間中は蓮の花に関連した展示や体験イベントなどが行われています。よくお寺に飾られている紙でできた蓮の花作りや、蓮の花石鹸作りなんてものもやっていました。
    そしてこの写真は10時祭開催前のまだ閑散としていた時に撮った出店テントです。ソドンとソンファの愛のダーツゲームって、あなたのハートに命中ーっ、ってか?ピダムなら3本同時に射て全部真ん中に命中させれますが何か?(笑)
    しっかし、羨ましいです、ソドン&ソンファ。慶州だって、トンマンとピダムでバンバン観光客を誘致すればいいものをー!
    ドラマ「薯童謡」なんて2005年のドラマなのにまだまだひっぱってるんですから、2009年の善徳なんてまだまだイケるでしょ。といっても 扶余では、ドラマというよりは薯童謡伝説からのソドン&ソンファ押しなんでしょうけどねw

    と、まずは第一訪問地潜入の報告書とともに、お土産にお祭り会場で貰ったソンファの顔の形をしたお面風のサンバイザーを陛下と司量部令に進呈しましたが、司量部令ピダム様がそれを見つめてじっと考え事をしております。
    陛下の顔でトンマンバイザーを作り、ミシルの形見風の鏡の前でひとりニヤけながら被ろうとしているに絶対違いない…w


    司量部員mukuge百済へ行く その2
    百済潜入報告の続きでございます。

    宮南池にてソドンとソンファにやっかみを入れつつw蓮の花を愛でたのち、百済のお宝が多く眠っているという国立扶余博物館へ向かいます。
    扶余 国立博物館
    なにせ百済の都があった場所ですからねー、たくさんのお宝があるに違いなくワクワクします。
    しかーし、また事件が!
    なんと、リニューアル中のため常設展示を休止とな!?まさか新羅の密偵が来ることに気づかれ、お宝を見せないという作戦でありましょうか?しかし、その代わりに代表的な文化財のみを展示した特別展「一目で見る泗沘」という展示を行ってるとのことなので足を踏み入れてみます。ダイジェスト版、時間もそれほど取れないしかえってラッキー♪なんて頭を切り替えてみたり。

    と、プラス思考でいってみましたが・・・えーっと、足を踏み入れたものの、あっという間に終了(爆)
    ある意味“一目で見る”と言った言葉に偽りはなかったっていう(笑)
    土器などちょこっとずつの扶余の出土品に、百済から日本へ贈られた七支刀のレプリカなどの展示の他、展示室の中心にはこちらのメイン展示物があったのみで。
    プヨ 香炉
    国宝287号「百済金銅大香炉」です。
    蓮の花と山の峰で象徴される百済の理想世界を完璧に具現したものということで、ホントだ、蓮の花の上に山があって、そこに龍や鳳凰、鹿など縁起のいいものがいたりするんですね。私のこのブレブレの写真じゃあまり伝わらないと思いますが(笑)
    実はこれ、以前にソウルの国立中央博物館で展示してあったのを見たことがあるんですが、里帰りしていたんですね。いつ見ても細かい美しい細工、そして何よりも金の輝きにうっとりします。敵(?)ながらあっぱれです!
    ちなみに8月6日からリニューアルオープンしているそうで、これから行かれる方はもっと百済のお宝が拝めると思います。

    続きまして、“定林寺址”に向かいます。
    プヨ 定林寺
    定林寺は6世紀半ばに泗泚に遷都されると同時に創建され、660年の百済滅亡時に消失した百済と運命をともにした寺院であり、百済仏教の中心地でありました。
    中門、塔、金堂、講堂が南北一直線に並ぶ百済伽藍の代表的なモデルということなんですが、この配置大阪の四天王寺を思い出させますね。

    プヨ 定林寺石仏座像
    金堂に安置されていた、高麗時代につくられた宝物第108号の石仏座像です。なんとも丸みがあってほんわかした雰囲気で仏様にこう言うのもなんですが、かわいくてなごみますv

    寺院址の隣には定林寺址博物館があり、百済の仏教や、日本との仏教での交流についてなど、子どもでもわかりやすいように展示されていました。
    プヨ 定林寺博物館アビジ
    他国との仏教交流といえば、新羅皇龍寺の九重木塔の建築には百済の阿非知(アビジ)が来て建立に携わっておりましたが(過去記事「天までとどけ 皇龍寺九重木塔」)、新羅の九重木塔を建てたのはおらが国の人、おらが国の技術だぜ、なんてな風に大きく取り扱われておりました。
    やはり百済にとっても九重木塔を建てた技術は自慢なんですねー。

    そして百済と日本は交流が深く、百済の聖王が日本の欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典・仏具などを献上したのが日本への仏教伝来のはじまりとされていますが、その日本との仏教交流をわかりやすく説明した映像も流れておりました。
    が、どうしてもこれだけはつっこまずにはいられません…!
    プヨ 定林寺博物館映像
    ん?ちょんまげ?誰?(爆)
    どうやら聖徳太子の父の用明天皇らしいです。
    病の用明天皇が病床に息子の聖徳太子らを集め、仏教に帰依したいと訴えている場面…だと思います、たぶんw
    欧米人ならともかく、こんなに近いお隣りの国でもやっぱり日本人のイメージってちょんまげなんですねー...。

    司量部員mukuge百済へ行く その3
    【前回までのあらすじ】
    新羅の美しき女王トンマンとその有能な右腕司量部令ピダムに呼ばれた司量部員mukugeは隣国百済の偵察という密命を受け、百済の都泗沘へ潜入した。

    …と説明が必要なほどすっかり時間が開いてしまいました。行ったのは夏なのに、もうすっかり木の葉は赤や黄色に色づき、冬の足音はもうそこまで…!(汗)
    焦りつつ、三回目の百済報告です。
    当初の予定では宮南池→国立博物館→定林寺址ぐらいしか周れないと思っていたのでこの他は考えていなかったんですが、博物館の工事にて幸か不幸か時間に余裕ができまして(笑)、もう一箇所「扶蘇山城」にも寄ることにしました。
    え?予定になかったって、密偵ならそここそ探ってくるべきだろう?と司量部令が右眉をあげているーーー!すみません司量部令!

    プヨ 扶蘇山城
    「扶蘇山城」は 538年百済の聖王の時に、熊津(現在の公州)から泗沘(現在の扶余)に遷都した時に、非常時の逃げ込み城として王宮のあった場所の横の扶蘇山に山城を築いたものです。

    プヨ 山道
    山城というだけあって山まるごと利用した要塞なんですが、現在はこのように道は舗装され歩きやすくなっていて森林浴に最適♪なんて言いたいところですが、写真ではゆるやかに見えますが結構上り下りが激しくてですね、しかも場所によっては石の階段がありしかも成形されていない石がごろんごろんした階段だったので結果かなりハードなんです。夏の盛りで汗だらだらですし。
    私ヒールは低かったもののサンダルで行ってたんですよね。平地歩きしかしない予定だったので。この1日でボロボロに履き潰してしまいご臨終を迎えました(合掌)

    プヨ 三忠祠
    こちらは比較的入ってすぐにある、三人の百済忠臣を祭った「三忠祠」です。
    真ん中はドラマ「ケベク」にてソルォンさんが演じていた成忠、向かって左は興首、そして向かって右の赤カブトではないものの鎧兜のお方はあの階伯将軍です。
    偉大な百済の将軍たちを前にして、こんな感じで新羅でもピダムとユシンとアルチョンを祭ってみたいと思う善徳ファン約1名(笑)

    プヨ 古代の道
    「迎日楼」や「軍倉跡」など見学しつつ、激しく続く上り道をぜぇぜぇ言いながら進みます。
    すると「古代の道」と書かれた脇道が現れまして、若干同じような道の風景に飽きてきた私は思わず飛びついてしまいました。
    当時の山道というこの道ですが、こんな風にレトロな雰囲気を漂わせています。
    なんともピダムがひょいひょい歩いてそうな道にちょっと興奮。
    そして自分的には従来の道からショートカットしているつもりだったんですが、山道を抜けて舗装された道出てあれ!?ここ、見たことあるような…

    扶蘇山城地図
    ぎゃぁーーーーーーっつ!
    私ってば、ショートカットどころか、来た道を戻ってしまったようです。(オレンジのルート)
    はぁ…上り道辛かったのに(泣)また辛い上り道を、しかも同じ道を上るのは悔しいので、来た道を戻り違う道から最終の目的地船着き場に行くことにしました。(ピンクのルート)

    プヨ 白馬江
    ルート変更して道を進むこと30分、わー!やっとこの景色が見えました!山の上から見下ろすと、そこには白馬江が流れております。
    倭国が唐・新羅連合軍と戦って大敗した白村江の戦いが行われた白村江は、この白馬江の下流の河口口ということなんですが、近代的なものが何もない風景に、当時もこのような風景だったのかと感慨深い思いがよぎります。

    プヨ 百花亭
    唐・新羅連合軍の攻撃によって泗沘城が攻め落とされた時、3000人もの百済の宮女たちは、敵に辱めを受けるよりはと白馬江に身を投げ、その衣の舞う姿は花が散るようであったと言う伝説が残りました。
    その飛び降りた断崖を「落花岩」、そして死ぬことで忠節を守った崇高な百済の女性達の魂を追悼するために1929年にその上に建てられた亭が「百花亭」と名づけられたのはその伝説がもとになっています。

    プヨ 皐蘭寺
    そして高麗時代、落花岩から身を投げた女性の霊を慰めるために、岩の下のほうに建てられたのが皐蘭寺です。
    なんだか見慣れたブルーシートが(爆)これぞ私の旅の定番ですwww
    寺の裏には薬水が沸いており、百済最後の義慈王は皐蘭薬水以外の水は飲まなかったということなんですが、若返りの水ってことでそりゃ飲むしかないでしょ!いや、旅先で水を飲んでも大丈夫だろうか?と葛藤したあげくええい飲んでしまえと飲んでみましたが、お腹を壊しはしなかったものの若返りもせずw

    プヨ 古代船
    皐蘭寺下の船着場へ向かいます。実はこの船に乗りたくてこの過酷な登山をがんばったと言っても過言ではないんですが、扶蘇山城潜入の締めくくりはこの古代船です。
    実は下調べによると、いつもは漁船を改造したようなwただの船とこの古代船がランダムに出港していて必ずしも古代船に乗れるわけではないようで、しかも10名集まった時点で出航ということで1時間待ったなんて話しも旅ブログさんで読んだり。
    しかしさすがは扶余蓮祭り!たくさんの人出で次々出航、そしてこの日は古代船ばかりの運航で念願の古代船に乗船です。

    プヨ 落花岩
    「落花岩」と「皐蘭寺」を横に見ながらクルージング。
    実はこれに乗って「新羅だー!」とトンマンごっこしたかったんですが、船の上は人がひしめきあいすぎて、とてもじゃないですがなりきりトンマンはできませんでした(笑)

    ってな感じで以上で百済潜入は終了です。
    扶余の街は徒歩で廻れる位こじんまりとしていましたが、なにかのどかで懐かしい感じのする街でした。
    司量部令こんなもんでいかがでしょうか?報奨も昇進もいらないので、是非陛下に謁見させてくださいませ。よろしくお願いいたしまーす!
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