ドラマ「善徳女王」のファンブログです

    符仁寺~善徳女王崇慕齋 その1
    5月3日、八公山符仁寺にて見てきました『善徳女王崇慕齋』の様子を何回かに分けてお届けしたいと思います。

    まずは、その符仁寺のある八公山とは一体どこにあるのかなんですが、
    韓国地図   
    現在でいうところの大邱広域市、地図でいうと黄色★のあたりになります。八公山といえば昔は中岳山ともいい、ムンノが祭事を行いお星様の啓示を聞いた場所でもあり、トンマンの出生の秘密を知ったチョンミョンがトンマンにひとまず籠もっていろと命令した場所であったりしますが、当時の新羅の都徐羅伐があった現慶州(ピンク★)からは同じ新羅の領地内とはいえども、遠くもなければ近くもないような。。。

    標高1000メートル強の八公山の山裾に符仁寺は位置していますが、なぜこの場所で善徳女王を崇拝する崇慕祭が行われているのか。そして『三国史記』にも書かれている命日旧暦の1月8日ではなく、なぜ旧暦の3月15日に行われているのか、詳しいことはよくわかりませんが、いろいろ妄想だけはかきたてられますね。
    それは今回はおいておくことにして、次に符仁寺の境内の様子をご紹介いたします。

    符仁寺 入り口
    道路沿いに「符仁寺」の文字が刻まれている石標がありますが、当日はこのイベントのために交通整備の方も立ってらっしゃいました。ここまで来てやっと、わー本当にあるのねーなんてホッとしてみたり。
    だってですね、そもそも本当に今年は5月3日であっているのか心配で、大邱観光協会の方に問い合わせて確認してはいたんです。そして5月3日であっていることや一般人でも誰でも見学可ということを事前にご返答いただいていて一応安心して飛び立ったんですが(大邱観光協会の丸山様、その節はありがとうございました!)、行きは大邱駅からタクシーで行ったんですが、運転手さんに「八公山符仁寺」って言って住所を見せても知らなくて、ナビと格闘してやっとたどり着いたくらいなんで、ちょっと心配になりましたよ(T T)

    符仁寺 ぶどう畑
    寺の敷地内にはブドウ畑が広がっています。まだ葉が出始めたばかりですが、秋の収穫時にはブドウがすずなりになるんでしょうね。陛下の廟にワインなんぞ供えたいものです。

    横断幕 
    ‘符仁寺址’の石柱と崇慕齋開催告知の横断幕です。描かれている女王のお顔は祠堂に飾られている御真のお顔に似せて書かれております。
    この日は11時から崇慕齋、13時から特別公演なるものがあるらしく、陛下の反対側に描かれている方は歌手の方ですね。有名なのかな?よくわかりませんけど。

    符仁寺 説明書き
    境内に‘符仁寺’の伽藍配置図と説明書きがありました。日本語の説明がなかったのでがんばって訳してみましたが、ちゃんとあってるんだろうか?w
    一応符仁寺はこのようなお寺です。↓

    八公山符仁寺は大韓仏教曹渓宗第9教区本寺桐華寺の末寺で、民族の宝物「初雕大蔵経」を奉安した大伽藍であり、崇慕殿で旧暦3月15日に開かれる崇慕齋で新羅善徳女王を100余年の間たたえた寺院で、7世紀中旬頃新羅27代善徳女王によって創建された説が有力だ。
    符仁寺は958年に建てられた「玉龍寺洞真大師宝雲碑」には‘夫仁山寺’と表記されており、高麗時代の「東国李宗国集(1241年)」と「真学国師碑文(1382年)」には‘符仁寺’と表記があり、朝鮮時代15世紀の記録中「高麗史説要(1453年)」、「高麗史(1454年)」そして「三峰集(1486年)」にも‘符仁寺’と表記がある。
    しかし「新增東国興地勝覧(1530年)」と1920年代以降の「大丘府邑誌」には、‘夫人寺’の表記があり、「冥府殿移建記(1788年)」、「朝鮮総督府 寺刹領 桐華寺條(1911年)」資料と『百弗菴先生(1705~1786)言行録(1999)』には‘夫仁寺’と表記されていると伝わっている。
    高麗顕宗時代1011年東アジアでは二番目に築かれた、符仁寺に奉安された「初雕大蔵経」は1232年モンゴルの第二次侵入時兵火で焼失した。
    現在の符仁寺は大雄殿、一花禅院を中心に、修行の空間である‘符仁寺’と「初雕大蔵経」遺墟址に比定される歴史空間である‘符仁寺址(大邱広域市指定記念物3番)’に分かれて保存し、1986年から続いてきた調査と発掘でいつか明らかになる歴史の荘厳な夜明けを待っている。

    *その2へつづく*

    符仁寺~善徳女王崇慕齋 その2
    崇慕齋に行く前に、境内の様子をお伝えしたいと思います。ひっぱります、すみません(笑)
    まずはいただいたパンフレットから境内案内図をご覧ください。

    符仁寺 境内図
    山の斜面に広がる敷地内には、点線より上の①の大雄殿を中心とする仏教の現在の修行空間と、点線より下の元の符仁寺址があります。
    今回の崇慕齋の会場は、⑩ 崇慕殿になりますが、そちらはまたのちほど。

    符仁寺 大雄殿 遠景
    大雄殿、そして後方に見えるのが②の冥府殿です。
    大雄殿の中には金ぴかの仏様が五体いらっしゃいました。

    符仁寺 大雄殿 正面
    正面より。崇慕齋に参加される白いチマチョゴリ姿のご婦人と大雄殿のコラボが素敵でしょ。
    ちなみに⑪の閑住室は今回崇慕齋に参加のご夫人達の控え室になっていたようですね。なんでわかったかというと、開けた窓からお着替え風景が見えちゃったんですよね。決して覗き見したわけではありませんよw

    符仁寺 大雄殿 変額
    「大雄殿」と書かれた変額。
    韓国のお寺って、色彩が鮮やかで、模様も繊細で美しいですよね。龍がかっこいいです。

    符仁寺 大雄殿 後方
    大雄殿を裏側から見てみましたが、裏面の壁にも側面の壁にも絵が描かれています。ちょうどツツジの季節だったので、綺麗に咲いています。
    そしてですね、あちこちに手作り風花壇があるんですよ。まだ花が咲くには早い感じだったんですが、「見るだけで楽しんでね。」みたいな看板も立ててて、尼寺だけあってなんか女性らしい雰囲気も漂っていました。

    符仁寺 玄音閣
    こちらは⑦の玄音閣です。鐘楼ですが、中継カメラのセッティングがちゃくちゃくと行われていました。崇慕齋が始まってから、あーこういうことねと思ったんですが、それはまたのちほど。

    符仁寺 鐘
    鐘のアップ。
    この鐘楼にも上の方に蓮の絵が描かれているんですが、それがほんのりピンク淡い色でこれまた愛らしく。さすが陛下のお寺、かわいらしいv

    符仁寺 霊山殿
    ③の霊山殿で、こちらにも仏様がまつられておりましたが、大雄殿に限らずこちらの仏様や、④の山神閣にも熱心にお供えものをし、お参りしている方が多数いらっしゃいました。みなさんとても信心深いです。

    符仁寺 冥府殿・妙心院
    手前が⑥の妙心院、その奥が②冥府殿です。妙心院は来賓のお坊様の控え室、だったように思われます。(←ここも隙間から見えましたw)

    符仁寺 石塔
    大邱広域市有形文化財第16号の符仁寺石灯です。
    以下説明書きより。
    石灯は衆生の心に仏力を照らす象徴的なもので、石塔の前に設置することが普通だ。この石灯は1964年7月符仁寺双塔を復元するのに、散らばっていた石灯彫刻を集めて今の場所に復元したものだ。
    石灯の容貌は、四角く平らな底石の上に三段の台を置き、火舍石(石灯の火を灯すところ)と屋根のある、八角の石灯である。台は柱を間に置き、下は伏せた蓮の葉模様を、上にはそびえる蓮の葉模様を表現した。屋根は軒が長く、各角は持ち上がっている。頂上には蓮の葉模様が丸い石だけが残っている。
    石灯全体の均衡と調和ある彫刻が繊細で、統一新羅時代の優れた作品と言える。

    符仁寺 三光楼
    そして⑧の三光楼ですが、こちらの建物はその3で詳しくお伝えします。

    *その3へつづく*

    符仁寺~善徳女王崇慕齋 その3
    その2の最後に登場した「三光楼」。
    符仁寺 三光楼
    反対側にまわると入り口があるのですが、そこには「韓服職人ユ・ホンスク先生復元 善徳女王御衣展示中」の文字が!

    善徳女王展示 御衣正面
    中に入ると、いきなり私の大好物、陛下のお衣装ではないですか!テンションあがりますねー。
    ドラマの陛下のお衣装に比べると衣の丈が短めになっていますが、デザイン的には即位式の時の衣装を思い起こします
    以下、説明看板よりです。

    新羅服飾再現
    金冠:天鳥思想を志す鳳凰3匹に装飾された、瑞鳳塚出土の金冠。両方の華やかな立飾は、お互い調和をなす金冠の緒の役割をする。
    銙帯:デザイン技術が優れた魚型、純金板やら独特の様式の腰佩を装飾。特別な17組の玉佩は歩く度にまばゆい光を出す。
    蔽膝:王の象徴である膝覆い用長方形の礼服装飾。多くの枝を象徴する装飾がぶら下がっている。(牛の角は農耕社会の力、翡翠と玉は王権、黒い宝石は天、勾玉は人間の誕生を象徴する。)

    金冠は説明するまでもなく頭に乗っかっている冠、銙帯は見えないんですけど腰に巻いた飾り、蔽膝は四角い前垂れとその上に下げている装飾品ですね。へぇ~、装飾のひとつひとつにこんな意味があるんですね。

    善徳女王展示 御衣マネキン群
    ちょっと引きで見ると陛下は男女の奉公人?に取り囲まれておりますが、皆びっくりするほどの小顔ゆえ、ズラがでかすぎて大変なことになってますw
    しかも子どものマネキン!首なしはびっくりするから止めてーーーーwww

    善徳女王展示 寛仁明敏
    陛下の功績を「寛」「仁」「明」「敏」に分けて説明している看板です。
    内容はまたのちほど詳しく。

    善徳女王展示 瞻星台
    陛下といえばやはり瞻星台ですね。
    あと横には符仁寺址の石標があります。
    どちらも立体的に見えますが、これ、まっ平らのただのボードなんですよね。結構クォリティ高いですね(笑)

    MBC番組ボード
    こちらは、初雕大蔵経、を特集したMBCの番組を紹介したボードです。
    大蔵経といえば世界遺産にもなっている伽耶山海印寺に保存されている高麗八萬大蔵経が有名ですが、その大蔵経が作られる前に作られたものが、符仁寺にありました。
    1011年に契丹が高麗に攻め込んで来るという事態が起こりましが、その時仏力によって敵を退散させるという護国の祈願のために、蜀版の開宝大蔵経をもとに最初の大蔵経の製作が始まったといわれ、その後契丹は退却し、版木は符仁寺に移されたということです。
    しかし1236年にモンゴルが高麗に侵攻した際、符仁寺にあった版木は残念ながら戦災で焼失してしまいましたが、現在京都南禅寺には、その初雕大蔵経の一部分が大事に保管されているそうです。

    善徳女王展示 大蔵経
    復元した初雕大蔵経です。
    一文字一文字細かい文字が繊細に彫られていたんですね。
    にしても、何故この初雕大蔵経が符仁寺に置かれたのか、当時の寺の情勢がよくわからないので想像の枠を越えないのですが、仏の力を借りて敵から国を護ろうとした初雕大蔵経の存在が、篤く仏教を敬い三国統一の礎を築いた善徳女王の姿に重なるような、そんな縁があったからかもなんて思ったりもします。

    *その4へつづく*

    符仁寺~善徳女王崇慕齋 その4
    「三光楼」の展示物の中で、善徳女王の功績について紹介しているボードがありました。
    善徳女王の遺されているエピソードを、寛・仁・明・敏 と4つのテーマに分類し、そこからうかがえる善徳女王のひととなりを説明しています。
    ハングルで書かれていてその場では私のレベルでは読めなかったのですが、『善徳女王崇慕齋』という行事が行われている善徳女王が現代の人々に実際にどのような捉え方をされているのか知りたくて、がんばって辞書使って訳してみました。よく知られているエピソードもたくさんありましたが、訳があやしくてもだいたいの雰囲気ということで許してくださいね(笑)

    ● 寛 ~寛大な心と 温かい人間愛を 持った王~
    寛

    キム・ユシンの妹ムニがキム・チュンチュと親しくなり妊娠し、キム・ユシンが妹を燃やして殺そうとしたことが国に噂が広まった。
    そして善徳女王が南山に行幸する日を推し量って庭に薪の山を積んで火をつけて煙を起こした。王は煙が立ち上がることを見て何事かと聞いた。事情を聞いた女王はキム・チュンチュの顔色が青くなったのを見てすぐ駆けつけ、事態を収拾するようにした。
    女王の寛容さがムニの命を救い後日王妃の座に上ることになったが、たとえ女であろうと男より大胆さと寛容さを持った女王の面貌を示す逸話だ。

    志鬼説話では善徳女王の温かい人間愛と真実性を垣間見ることができる。
    活利駅の人であった。彼は行幸する善徳女王を偶然見て敬慕するようになったが、遂げることのできない愛に対する絶望と恋しさで憔悴しきっていった。ある日女王は志鬼の話を聞いて、これをかわいそうに思い、後日自らに謁見できる機会を与えると伝えた。
    ゆえに志鬼は大いに喜び幾日待った後に女王の行幸を待ったが、つい女王が過ぎる時間に眠ってしまった。女王は深い眠りに落ちた志鬼を見て腕輪をはずし胸に置いて宮に帰っていった。下賎な身分の志鬼だったが、王は礼と誠意を尽くして自身の心を表現した。
    この話は徹底した身分制社会であるが、これに意に介しない飾り気の無い温かい人間愛を持った善徳女王の人柄を間接的に見せてくれる。

    ● 仁 ~民達の疲れた人生を 理解していたわった 徳のある王~
    仁

    徳と智を兼備した善徳女王は、法興王、真興王、真平王の領土拡張中心の統治の方法とは違って、国と民の平安を国家の最優先課題に置いた。国家の外形的拡張よりは民が良く暮らす国にもっと関心を置いたものだ。
    善徳女王は即位したその年に地方特使を送って男やもめ、未亡人、父母がいない子供、子息のいない老人のような一人暮らしで大変な人々に穀物を分け、救恤した。翌年正月には大赦免を下して社会の統合を図っており各城邑の税金と夫役を1年間免除して民の心を慰め労を労うことを助けた。

    有名な瞻星台は善徳女王の科学に対する関心と民に対する愛をうかがうことができる代表的作品だ。瞻星台の活用目的に対しては多様な意見があり、天文学あるいは易学研究をするためのものという主張が優勢だ。星を通じて気象を観測し自然災害を予測する行為は、農耕社会に民達が最も大きな苦情である自然災害を予防することにより、彼らが経験する一番大きな苦しい心の内を減らそうとする意図だった。

    ● 明 ~未来を予見する明晰な知恵がある王~
    明

    知機三事  善徳女王が予め言い当てる三つの話はあまりにも有名だ。その内容を見ると次のようになる。

    #1 牡丹の花に香りが無いことを話した
    唐の太宗が赤色、紫色、白色三つ描いた牡丹の絵と種を送って寄越し、絵を見た善徳女王は“この花はきっと香りが無いであろう”と言った。なるほど花が咲いた時にも香りが無かった。本当に牡丹は香りが無い花なのか?もちろんそうでは無い。ただ女王は花の絵に蝶が無く、そのように言うことで唐の太宗が配偶者が無い自分を冷やかしたとことを見抜いたことだ。もしかしたら蜂と蝶がむやみに群がれないほど女王は余りにもかぐわしい存在であったのではないだろうか。

    #2 百済兵士の侵入を予見した
    霊廟寺にある池で真冬にカエル達が集まって3、4日の間泣きたて、王が角干アルチョンとピルタンに命令を出し、兵士を率いて女根谷に行って隠れていた敵兵を撃った。なるほど王の言うように百済の兵士が潜んでいて、皆撃って殺したという。
    これは霊廟寺の蓮池である玉門池の色と怒ったカエル達の顔が比喩するところを呪術的に解釈して、女の体に似る地形である女根谷に敵軍が隠れていることを見抜いたのだ。

    #3 自分が死ぬ日を予め言い当てた
    善徳は自身が死ぬ日を正確に話して、臣下達に自身を忉利天に葬るよう言った。臣下達がそこがどこか尋ねると南山の南の方角と言った。忉利天は仏教で言うところの天上世界で四天王天の上にあるところだ。もちろん臣下達は訳もわからないまま、王が死んだ後南山の南側に葬った。それで文武王時代三国統一を念願する王の墓の下に四天王寺を立ててようやく王の予言が実現されたので、皆善徳女王の神霊らしさと神聖さに感心したという。

    ●敏 ~リーダーシップと統治力で輝いた王~
    敏

    善徳女王の在位当時最も大きな任務は、百済と高句麗の攻撃から国を守ることだった。王は兵乱の時期を人材登用と外交術で乗り越えた。最高の人材を発掘し適切な職を配置することをもって女王の限界を克服した。王は全面的な自律と重大な責任を与えた臣下をして任務を完遂するようにして、臣下が危険に陥った時最後まで救うよう命じて、王に対する忠誠を導き出した。キム・チュンチュとキム・ユシンは善徳女王の卓越した人材登用を見せてくれる事例だ。このような人材活用によって女王は新羅三国統一の基礎を作った
     
    初めて唐の国子監に王族の子弟達を留学生として派遣したことも、善徳女王時代のことだ。また王は自身が不足した部分に対して、周辺の人たちの助言を聞くのをためらわなかった。文と武を兼備した優秀な人材を発掘して国政の運営に参加するようにして、仏法に優れた法師の建議を積極的に受容したりもした。
     
    善徳女王は外交の重要性に対してもかつて理解していた。唐に使臣を送って持続的な関係を結び、危機の瞬間に派兵を要請した。唐太宗は新羅の支援要請に ‘女王が在位している隣の国は無視する’という言うほど、善徳女王を信じなかった。だが、善徳女王は持続的な説得と懐柔を通じて唐との連合を導き出して、新羅の側で三国関係を取り結んだ。
     
    それでも善徳は女王になって3年で仁平という独自的年号を発表した時、中国を伴わない独自的年号を用いたことはそれくらい自主的に独立的な国家運営の意志を盛り込んだとすることができる。


    以上です。善徳女王がどれだけ優れた女王であったか、そして人々に愛されているかが伝わってきます。
    さて私たちが大好きなドラマ版「善徳女王」ですが、領土拡大よりも民の安寧に関心をおいたこと、瞻星台を建設して自然災害を予防し民の苦労を減らしたこと、卓越した人材登用によって三国統一の礎を築いたこと、独立的な国家運営の意志を盛り込んだことはドラマ内にも出てきていました。
    他のエピソードは直接的にドラマ内には出てきませんでしたが、仁のエピソードの「たとえ女であろうと男より大胆さと寛容さを持った」と読み取れる部分や「飾り気の無い温かい人間愛を持った」と読み取れる部分は、別の形ではありましたがドラマ内のトンマンのキャラクターを形成する要素として出てきていました。
    本物の陛下とヨウォン陛下、どっちもやっぱり大好きですv

    *その5へつづく*

    符仁寺~善徳女王崇慕齋 その5
    お待たせしておりますが、やっとメインイベントの崇慕齋が行われる「崇慕殿」へ移動します。
    が、「崇慕殿」に向かう途中すれ違う人がパンフレットのようなものを手に持っていたんですよね。私も欲しい~。
    今回は昼食を来訪者にふるまうとのことでその特設テントが出ていたんですが、そこに行ってみるとパンフレットが山積みになっていていただけました。
    スモジェパンフ
    パンフと一緒に楽譜もいただいたんですが、えー?合唱とかもあるんでしょうか?
    そしていただいたお礼を言って立ち去ろうとしたら呼び止められて、こちらもいただきました!
    餅
    蒸しパンみたいな食感のもので、たぶん米の粉を蒸したお餅でシルトックというものではないかと思うんですが、これがものすごく美味しかったんですよ~。よもぎの味が噛めば噛むほど味わい深くて。しかもいただいたときまだほっかほっかで、朝早くから作られたんだなぁと思ったら心まであったかくなりました。

    そして「崇慕殿」です。
    崇慕殿 2
    善徳女王を祭る「崇慕殿」は周りが塀で囲まれて、独立した空間になっています。
    当日は残念ながら雨予報で、幸いにも開始時は霧雨で傘は差さずに済んでいたものの、空には厚い雲が覆っていていつ雨が降ってもおかしくない状態でした。しかし大きなテントの屋根がイベント用に設置されていたので、途中から雨が降ろうとも安心でした。
    崇慕殿 1
    こちらが「崇慕殿」です。
    前には牡丹の花が植えられていますが、ちゃんと香りのある牡丹かと思います。香りを嗅いだわけではないですけども(笑)
    崇慕殿 4
    正面から。
    いつからかはわかりませんが、1991年まではここには「善徳廟」という名の祠堂があり、善徳女王を祭っておりました。現在の「崇慕殿」はそれ以降新たに建てられたものです。
    真ん中には陛下の御真があります。
    御真
    儀式が始まる前は前の赤じゅうたんが敷いてあって近づきづらかったので、これは儀式が終わってからの写真です。なので儀式の最中に備えられたお供えものも写真には写っています。
    「三光楼」に展示してあった陛下の衣装復元は、この御真の陛下の衣装を再現しているんですね。

    崇慕齋は11時からのスタートですので、椅子に座ってしばし待ちます。
    って、この時30分位前だったんですが、撮影スタッフがカメラテストを行っている最中でまだ観客も集まっておらず、前のほうは貴賓が座るということで、後ろのほうなら大丈夫と言われ写真の撮りやすいベストポジションを陣取れたんですが、まさかあんなに立ち見が出るほどお客さんが来るとは思ってなかったんですよねぇ。
    開始時刻近くになり、貴賓や出演者の皆さんがどんどん席を埋めて行きましたが、立ち見もたくさんいて、確かにいいとは言われたんですがあれ?私こんないいとこに座ってて良かったのかしら?などと思ったのはあとの祭り(笑)
    という私の心の内にもかまわず、時間になりまして崇慕齋スタートです!

    まずは鳴鐘、符仁寺総務チョンウォン僧侶によって「玄音閣」の鐘が鳴らされます。
    あ、進行内容やお名前はいただいたパンフレットを参照させていただいております。
    鳴鐘
    「崇慕殿」前に設置されたスクリーンには、「玄音閣」からの中継の様子が映し出されています。「玄音閣」にセッティングしていたカメラはこのためだったんですね。
    静寂につつまれた山の中に厳かに鐘の音が響き渡ります。

    次は、蓮花寺主事トンホ僧侶とチソン僧侶による三帰依です。
    調べてみると三帰依とは、『仏と法と僧の三宝を心から信頼し、尊重すること。仏教徒の根本的な態度であり、生き方である。「仏に帰依し奉る。法に帰依し奉る。僧に帰依し奉る。」と称える。』とのことでしたが、私のレベルじゃ仏教用語は難しすぎてまったく聞き取れません。

    次は菩薩による六法供養です。
    真ん中の通路にさぁーっと敷かれた赤いカーペットにスモークが焚かれまして、後ろから菩薩のお姉さま方の登場です。
    六法供養 1
    ‘香’‘藤’‘茶’‘果物’‘花’‘米’のお供えものを手にもち、各二名ずつ入場します。
    六法供養 1
    で見てください、この菩薩のお姉さまたちのお衣装を。
    袖の部分やチマの部分が何重にもヒラヒラしていてすごくかわいいんですよー!
    六法供養 2
    途中このスモーク量が多すぎて、肝心の行進が見えなくなった場面もあり。炊きすぎだっちゅーのw
    それに六法供養の前にスタッフが赤いカーペットを横切ったんですが、それが泥のついた土足のままで、カーペットには大きな足跡がくっきりと!なんとも韓国っぽいなーとちょっと笑っちゃいました(笑)
    六法供養 3
    12人の菩薩が陛下の御前に手にもつお供えものを備え、一斉に拝礼し合掌した姿は壮観でした。

    *その6へつづく*
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