ドラマ「善徳女王」のファンブログです

    MISO(美笑)Ⅱ ~善徳女王と将軍龍春の恋~
    そろそろThe Great Beautiful clever lovely refined Queen Seondeok Forever Tour(とめどなく長くなっていますw)の本編に入ろうと思うのですが、どういう順番で記事にしていってよいかわからず、基本的には結局単純に時系列順にすることにしました。

    というわけで、第一回目はこの旅の中でもっともレポ需要の少ないであろうMISO(美笑)Ⅱというショーのごショーかいを(笑)
    たぶんりばさんがミッションに入れてくれなかったらちゃんと書かなかったと思うので、ミッションThanksですv



    釜山の金海空港から空港リムジンバスで直接慶州へ。そこからタクシーでホテルに着くと夕方になってしまうので、1日を移動だけでつぶしてしまうのはもったいない!そこで、この夜に開催されるショーの登場です。

    会場はたくさんのホテルが立ち並ぶ普門湖の近く、2011慶州世界文化エキスポ公園内にある文化センター公演場です。
    慶州世界文化エキスポ文化センター公演場
    このドーム状の建物は、新羅建国の始祖朴赫居世(パクヒョッコセ)が産まれた“卵”をイメージしているそう。慶州に行くと、新羅LOVEが表れている建物がたくさんあって微笑ましいですw

    このショー、表題のとおり内容は、トンマンとヨンチュンの恋物語なんですよね。トン&ピファンとしてはう~ん(^^;)な題材なんですが、まぁ実のところはそっちの組み合わせが本家なわけなので。
    一応ネタバレに配慮しつつ、OKな方のみ続きをどうぞ~♪

    続きを読む

    勝手にさいころ祭り
    げんさんのブログmikazu記の「王様はさいころ遊びがお好き?」を読んで、10番のおじさんの豪快な笑顔にひかれつつ~さいころ熱(誰の?って私のw)が盛り上がっているうちにさいころトークをこちらでも。
    何が出るかな♪何が出るかな♪

    「善徳女王」6話で出てきた酒令具。真平王が酒の席で女官に振らせて出た目がコレ。
    6話 酒令具
    「飮盡大笑」酒を一気飲みにし大声で笑う、ってことで、真平王も10番のおじさんに負けずに豪快に笑ってます。
    6話 真平王大笑い
    というか、自分の運命を決める大事なさいころ(おおげさw)なのに、自分で振らないで他人任せなんですね。トンマンなら自分で振らせろと言いそうです(笑)

    酒令具は、674年文武王(チュンチュの子)の時代に作られた雁鴨池で発掘されたものですが、その酒令具が国立慶州博物館に展示され…
    国立慶州博物館 酒令具レプリカ
    ていると思ったら、レプリカなんですよね(^^;
    なんでも保存作業中に燃えちゃった、とか。わぁお。

    そんな酒令具、慶州の風景にとけこんでいます。
    慶州市文化福祉会館の酒令具
    サイクリング途中に見つけた酒令具オブジェ。慶州市文化福祉会館というところにありました。調べてみたら慶州市文化福祉会館は女性能力開発など女性教育を行っているいわゆる女子向けカルチャーセンター的なところっぽいのですが、何故に酒令具???さいころ遊び(しかも酒がらみ)は女子のたしなみということでしょうか?w

    そして買ってきました、酒令具!
    本物はクヌギの木を加工したものなので木製のものが欲しかったんですけど、木製のものは30000ウォン(約2100円)とかやや高めだったので、お土産屋さんの軒先で埃をかぶりながら無造作に売られていたこちらのプラスチックタイプを。
    なんちゃって酒令具

    5000ウォン(約350円)と超リーズナブルなお値段でしたが、なかなかそれらしく作られているシロモノでした。
    サイズも本物に近い感じです。重みもあります。書いてある文面も全部本物と同じでした。ただ…本物に比べると字体が稚拙w あと、これのハングル版も売っておりました。

    まぁ安かったから心おきなく使えるということで。わーい、これ私の仲間内でやっている毎年恒例女子だけのクリスマスお泊まり会に持って行ってみんなで遊ぶんだ~♪「善徳女王」を見ていない人がほとんどなので、なんじゃこりゃ?と言われそうですが(笑)

    遊ぶためにはサイコロに書いていることを知らなければということで、公式ガイドブック上巻に載っていた内容によると、

    酒令具に書かれた14の罰

    1.禁聲作舞(声を出さすに踊る)
    2.衆人打鼻(全員から鼻を叩かれる)
    3.飮盡大笑(酒を一気飲みにし、大声で笑う)
    4.三盞一去(酒を3杯飲む)
    5.有犯空過(ちょっかいを出されてもじっと我慢する)
    6.自唱自飮(ひとりで歌を歌い酒を飲む)
    7.曲臂則盡(腕を曲げて酒を一気に飲む)
    8.弄面孔過(顔をくすぐられても我慢する)
    9.任意請歌(誰かに歌を歌わせる)
    10.月鏡一曲(月鏡〈月は女性に関することをさすものと思われる〉の歌を歌う)
    11.空詠詩過(即興で詩を詠む)
    12.兩盞則放(酒を2杯飲む)
    13.醜物莫放(汚くても捨てずに飲む)
    14.自唱怪來晩(真夜中に酔っ払った状態で歌を歌う)

    「酒を一気飲みして大声で笑う」とか、「真夜中に酔っ払った状態で歌を歌う」とか
    こんなことしらふの精神状態でもできる私にとっては、全然罰ゲームにはならないんですけどーー(爆)


    トンマンのご先祖様!? 大陵苑 前編 【訂正あり】
    朝7時半…年を取ると朝が早いってことですね(爆)
    とりあえずガイドブックを見て、開館時間7時半~と書いてあったこちらへ。
    大 陵 苑
    大陵苑
    古墳公園みたくなっている場所ですが、朝7時半開場と書いてあるわりにはチケットブースは閉まっています。あれ?
    でも開いている扉から入っていく人がひとり、ふたりといたので、ついていってみる(笑)

    ちなみに入口に立っているゆるそうなキャラクターの男女は、慶州市の観光キャラクターです。形を変えてあちこちに。空港からの高速バスが慶州インターチェンジを降りる時にも、もっと巨大なこのキャラクターが立っていてwelcomと出迎えてくれました。
    慶州市のHPによると、新羅時代の歴史的な意味と文化的な優秀さを象徴する王と王妃をキャラクターの素材としたそうです。金冠かぶってるところがわかりやすい。

    慶州市キャラクター
    まぁ、女王と上大等にしてくれたらもっと萌えたけどもねw

    門の中に入ると松林が広がり少し暗い雰囲気。左側の道なりに歩いて行くと、早速古墳がひとつ見えました。
    味鄒王陵
    味 鄒 王 陵
    王の墓とはっきりわかっているからか、ちゃんと塀で囲われて門まであります。
    立っていた説明書きを参考にすると(ハングル、英語の他に親切に日本語までありました♪)、
    味鄒王は新羅第13代の王(在位262~284)で、金氏の始祖・金閼智の後裔で、新羅の王統を継ぐ三姓(朴氏・昔氏・金氏)の中の金氏最初の王ということで。
    ならばトンマンのご先祖様?とも思ったのですが、新羅王室の系図を見ると同じ金氏ではあるけれども、この味鄒王の直系というわけではないようなので先祖といえるかはアレですが、まぁ新羅の先代の王ということにはかわりなく。
    しっかり拝んでおきました。門の外から。

    さらに道なりに進んで行くと、ぼっこぼっこ古墳が見えてきますが、その中での次の目的地はこちら。
    天馬塚
    天 馬 塚
    5世紀末~6世紀初頭につくられた王陵で、被葬者は第21代の炤知王(在位479~500)または第22代の智証王(在位500~514)と推定されているそうです。もし智証王であれば、父方で辿ればトンマンのおじいちゃんのおじいちゃんのお父さんになりますね。【2012.05.27.追記】

    天馬を描いた馬の泥よけが出土したことからその名前がついたこの天馬塚は、中が展示館になっていて入れるようになっています。
    内部は写真撮影が禁止だったので写真は撮りませんでしたが、内部に入って突き当たりの壁は古墳の断面がわかるようになっています。
    この時代の新羅の古墳は、木で箱型の四角い部屋を作ってその中に棺や副葬品の入った箱などを安置し、そしてその木の部屋の上にいくつもの石を盛り、さらに土で覆っていたという仕組みがよくわかります。
    そしてその他の壁際には出土品のレプリカが飾られています。それらの本物は国立慶州博物館に展示されていました。

    以下、出土品をご紹介。
    ●天馬図障泥 国宝第207号
    慶州博物館図録 天馬図
    天馬塚の名前の由来になったものですが、現在は損傷が激しくて博物館の方にも展示されていないそうです。国立慶州博物館の図録を買ってきたので、その中から画像を拝借。
    障泥(あおり)とは、馬の両腹に泥よけとして下げるもので、この天馬塚で出土した障泥は薄い白樺の皮を何枚も重ね斜め格子状に縫い合わせてあるそうです。そう言われてみれば、良く見るとパッチワーク生地のように見えなくもないかも。そうして繋げた皮の上に、白馬が飛んでいる姿が描かれています。

    ●天馬塚金帽 国宝第189号
    天馬塚金帽
    本来は白樺の皮で作られた中心部に絹をかぶせた山形の帽子があって、その上に装飾金板をかぶせるものですが、中の帽子部分が腐敗して無くなり、このように金板を組み合わせた部分のみが帽子形に残っているそうです。そしてこの上に金冠をかぶるんですね。
    この純金の細工が凄いですね。細かい部分までたがねを打ち込んで模様を作っているのがわかります。(PCからご覧いただいている方は、画像をクリックしていただくと大きく表示されるようにしてあります。)
    その豪華さからも、最上級の身分の人が埋葬されているということが推測できるそうです。

    ●天馬塚金冠 国宝第188号 ?
    天馬塚金冠
    私の写真の撮り方が悪いのか…確かに他の金冠とは違ってスポットライト等は当たらず普通に展示してあったんですが。
    金キラきんというわけではないですが、天馬塚から出土した金冠(たぶん…)。
    「出」みたいな形の部分が4段になっているデザインなので、天馬塚出土の金冠だと思うのですが(たぶん…)。
    勾玉も取り払った状態なんですが、天馬塚出土の金冠…(たぶん…)。
    この天馬塚の金冠はサイズも新羅金冠の中では最大のものだそうです。まぁあまりにも金ピカなものよりも、約1500年前のものですからこのほうが出土品としてはリアルっちゃあリアルなんですが…うむむ。

    ぜひに金冠の写真を!とミッションくださったmidorin様ありがとうございました。が、第一弾はちと地味目でしたね(汗)
    あまりの地味さ加減に、買ってきた慶州博物館の図録の写真を。
    慶州博物館図録 天馬塚金冠
    同じものとは思えない輝きなんですが、自信がなくなってきました。上の写真が本当に天馬塚の金冠なのか、いますぐ確かめに飛んでいきたいです(滝汗)

    【大幅訂正します 2012.07.23.】
    皆さんうすうすお感じだったとは思いますが、やっぱり上のひん曲がっている冠を国宝とするには無理がありました(爆)あー、「やっぱりね」という声が聞こえてきそうだ(^^;
    げんさんがお読みになった『ユーラシアの風新羅へ』という本にこれと似たような伝慶尚北道出土の金銅冠が載っているそうです。(情報ありがとうございます!)
    自分的には金銅冠の写真は撮った覚えがなかったんですが、最初記事にする時に一応金銅冠も調べたんです。でも出の部分が3段のものばかりで違うなぁと思いまして。でもそういえば慶州市内出土のものしか調べてなかったかもで、地方のものまでは考えていませんでした(^^;
    あらためて調べてみたところ今更ですが慶州博物館所蔵ということでこのような出の部分が4段になっている金銅冠の画像が出てきました。上の写真とは違って欠落している部分がありましたが、補修して展示していたのかもしれません。
    ということで、これは金銅冠可能性大です。
    不確かな記載をしましたことをお詫びするとともに、金銅製の可能性がありと訂正させていただきます。
    りばさんが前にこの冠元気がなく、じょうろで水を注いだら少しはシャキッとするのでは?とまた面白いことをおしゃってたんですが、どうやらこの樹木型の冠にいくら水や肥料をあげても金冠のようにはしゃっきりしないようですーー(笑)


    トンマンのご先祖様!? 大陵苑 後編
    前回の天馬塚を出て左手を見ると、このようなふたつ繋がったような形の古墳が見えます。
    皇南大塚
    その前には池があったりして、まさに緑のたくさんある公園といった感じです。
    開いた門から入っていっていた地元の人達は、ここで朝のジョギングを行っていました。
    う~ん緑もあるし、気持ちいいよね!とも思いましたが、良く考えたらお墓の中をジョギングしてるということですよね(爆)
    さすが、慶州の人の生活に古墳は普通にとけこんでいます。

    そしてそのふたつつながった古墳が皇 南 大 塚です。
    皇南大塚
    天馬塚の内部の話の時にちょっと書きましたが、この時代の古墳は木の箱の上に石を盛り土で覆ってしまうので、一度埋葬したら掘りだすことはできない仕組みになっています。年月が経ると木の箱は押しつぶされてしまうので、その分盗掘の心配も無いと言えますが。
    ですから一度埋葬した古墳に新たに追葬するということができないため、別々の時期に死んだ夫婦などはこのようにふたつ並べてひょうたんのような形の古墳が作られたようです。
    皇南大塚は北墳(写真向かって右側)が副葬品に装飾品が多いことから女性、南墳(写真向かって左側)は武具等の副葬品から男性の墓だったと推定されています。副葬品の豪華さからいっても王と王妃の墓かと。先に王が亡くなってそのあとに北に王妃の墓が作られたらしいです。

    清水常雄氏の著書『ローマ文化王国―新羅』の中では、南墳の方が第18代実聖王(在位402~417)、そして北墳の方がその王妃で第13代味鄒王の末裔の王女である阿留夫人が被葬者とされています。王の墓の方には銀冠と金銅冠しか出土しなかったのに、王妃の墓に金冠が出土しているということから、王は身分の低い出身で、王妃が夫である王以上に高い身分と実力があったことを物語っているという話なんですが、それにしてもトンマンのような女王でもないのに豪華な金冠を埋葬される王妃とは!改めて新羅の女性の地位の高さ、強さが伺え知れて面白いですね。

    その金冠は、現在ソウルの国立中央博物館に展示されております。
    金冠の写真はこちら→過去記事「国立中央博物館に行ってきた! 後編

    皇南大塚
    ひょうたん型の古墳は見る位置によって形を変えるので面白いですね。これは南墳のほうから見た写真です。
    対照物と一緒に撮っていないのでわかりづらいと思いますが、南墳・北墳あわせて114Mの長さということでかなり大きいです。昔うちの小学校にこの位の築山があって、そこでスキー学習したなぁという位の大きさです(わかりづらいw)。

    この大陵苑の中には、他にも大なり小なりたくさんの古墳があります。
     古墳群
    この辺には野生?のリスがたくさん。この囲われた中で暮らしていると外敵もいなさそうでのびのび暮らしてるんだろうなと、一瞬リスを羨みました(笑)

    航空写真で見てみると、有名な3つの古墳以外にもたくさんあるのがわかります。
    大陵苑 航空写真
    下の入口を出てすぐ目と鼻の先が瞻星台で、その先に月城があります。
    本当に王城に近いところにこれらの古墳群はあるんですが、4世紀後半~6世紀前半のこのような古墳(積石木槨墓)は王城に近いところに作られ、その後法興王以降の中古期になると次第に石室墳が主流になり、郊外にある山裾の斜面に築造される形にだんだん変わっていったようです。

    その中の味鄒王陵C地区4号墳から出土したこの有名な象嵌瑠璃頚飾。
    象嵌瑠璃玉
    国立慶州博物館に展示されていましたが、小さなトンボ玉の中に王と王妃と思われる二人の顔と白い鳥の姿もはっきり見えました。
    はるか遠い西域のほうからやってきたと思うとワクワクしますね♪

    ※画像を選択いただくと拡大して見れるようになってます

    瞻星台 ☆ トンマンの理想へのはじめのいっぽ 
    大陵苑を出て1分も歩くか歩かないかのところで見えてきました!
    瞻星台 柵外
    瞻 星 台 チョムソンデだぁ~v
    柵の外からも十分見えますが、愛しの君を少しでも近くで見たいということで、入場料を払って中に入りました。入場料500ウォン。500エンと間違えそうになりますが、500ウォン。日本円に換算すると約35円って、そんな金額でこんなに興奮させてもらっていいのでしょうか?(笑)

    瞻星台に駆け寄る前に、ドラマの中の瞻星台の復習を。
    29話、トンマンが公主に復権して一番最初にとりかかる初仕事を会議で伝えます。

    「神国の天神の王女トンマンは本日より上天官を廃し、天文に関する情報をすべて民へ公開することにします。
    徐羅伐の地に、天文観測の基準点であり、民が閲覧できる暦本を天文台として建設いたします。その名は瞻星台です。」

    29話 瞻星台

    基壇にある12の石材は1年のうちの12ヶ月を指します
    円筒部の石材の数は365 上部にある井桁型の石は1日の4分の1を意味する これらは1年の日数を示すものです
    次に基壇から中央窓までの石段の数は12 窓から井桁型の石までも同じく12 この24段は二十四節気を指します
    井桁型の石と円筒部の階数は全部で28段 これは星座の二十八宿を意味します
    (ウォルチョン大師)

    「これで新羅の民は皆天候の変化を把握できます。天文を独占してきた神殿とその他のどんな者も、民の無知を利用して私腹を肥やせなくなります。」

    民を国の根幹とする政策をとるトンマンのはじめの一歩となる事業ですね。

    せっかくウォルチョン大師が説明してくださったので、それを図にしてみました。

    瞻星台 図

    白い文字はドラマで出てきたもので、ピンクの字はその他の諸説で聞いたことがあるものです。
    石の総数は、ドラマに出てきた365個という数の他に、361.5個または362個としている文献が多いです。361.5個もしくは362個とするのは旧暦の1年からきているようですが、思うに本当は361.5個(362個)だけれども、ドラマでは1年の日数を説明するのに現代の太陽暦の365日の方がわかりやすいのでそうしたのでしょうね、たぶん。だって、当時は旧暦のはずですもの。念のため韓国語音声と韓国語字幕のほうでも確認してみましたが、やっぱり365個でした。
    自分で実際に数えて確かめてみるのが一番なんですけどね…無理!(爆)

    ドラマ中のトンマンが説明に使っている絵の中に「二十四節気」と「二十八宿」も瞻星台の絵と共に書いてありますが、私にはよくわからなかったので調べてみました。 

    *「二十四節気」は、太陰暦を使用していた時代に、季節を現すための工夫として考え出されたもので、一年を二十四に等分し、その区切りと区切られた期間とにつけられた名前だそうです。

    立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨 立夏 小満 芒種 夏至 小暑 大暑
    立秋 処暑 白露 秋分 寒露 霜降 立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒

    立春や冬至など現代でも身近に使われている言葉がありますが、毎年同じ時期に同じ節気がくることや節気の感覚が約15日で一定しており、半月ごとの季節変化に対応出来ることなどから、農業の目安としては非常に便利なものであるようです。

    *「二十八宿」は、天球における天の赤道を、28のエリア(星宿)に不均等分割したもので、またその区分の基準となった28の星座のことをいいます。二十八宿の星座は4つの方角の七宿ごとにまとめられ、その繋げられた形は4つの聖獣の姿に見たてられ、東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀の四神に分けられたそうで。

    東方青龍―角宿 亢宿 氐宿 房宿 心宿 尾宿 箕宿
    北方玄武―斗宿 牛宿 女宿 虚宿 危宿 室宿 壁宿
    西方白虎―奎宿 婁宿 胃宿 昴宿 畢宿 觜宿 参宿
    南方朱雀―井宿 鬼宿 柳宿 星宿 張宿 翼宿 軫宿

    昔の天文学の基本となっており、またこの宿によって何かを行う時の吉日を決めたようですが、瞻星台の地鎮祭もこれに従ったのでしょうかね、やっぱり。角宿とか井宿とか二十八宿中最大の吉運の日という鬼宿とか。


    さて、一番上部の井桁の部分の面は東西南北にそれぞれきっちり向いているそうです。
    ということで、近づいていってそれぞれの面から見てみましょう。

    ● 南
    瞻星台 南
    出入り口の面が真南を向いています。

    ● 東
    瞻星台 東
    南の位置から反時計回りに周ると東面。
    右に傾いているのがおわかりでしょうか?

    ● 北
    瞻星台 北
    南面の入り口のある方が正面とするならば、こちらがお尻になります。
    向かって右側でたむろしている男子学生達。修学旅行生なのか強制的に連れてこられた風で瞻星台には興味ない感じで。どこの国でも同じですね(笑)
    瞻星台の大きさを伝えるのにこの男子学生に役立ってもらいますw

    ● 西
    瞻星台 西
    ちょうど太陽の方向が、南東の方にある時間帯だったので、逆光で瞻星台が暗くなってしまいました。
    周りに何も無く、日中は太陽の動きで影が動き、日時計のように1日の時を知るめやすにもなりそうです。

    ドラマ中でピダムが瞻星台のことを、
    「王や神官だけでなく、種をまき、作物を育て、収穫する民にも天候や二十四節気や四季について学ばせるそうです。そのために瞻星台なるものを建てると。羊皮紙や紙でできた暦本ではなく、それ自体が暦の一部である建物です。」とムンノに説明しています。
    瞻星台は天文台ではなく、宗教的象徴物・祭壇などの説もありますが、やはり天文を観測しそれ自体が暦の一部となった建物とみたほうが心躍りますよね。

    次回は、瞻星台の内部へGO~!の巻ですv

    ※画像を選択いただくと拡大して見れるようになってます

    Copyright © こうもりのサンガラクチ. all rights reserved.