ドラマ「善徳女王」のファンブログです

    イケメンロン毛兵士
    徐羅伐コレクションのトンマン兵士になるの巻を作るのに、ずうっとこの衣装の場面を見ていたら、今更ですがあることに気づきました。

    ロン毛兵士1

    ちょ、チュンチュ!

    後ろ髪が背中に垂れています…!
    これじゃあどんなに前から見て完璧に変装したとしても、後ろからみたら怪しいと一目瞭然じゃないですか(爆)
    同じように長い髪を垂らしていたトンマンは、ちゃんと髪の毛を兜の中にしまっているというのに。
    というか、トンマンは縄のような(こらこら!)カチェをしていたはずなんですが、さすがにあれ付けたままだと兜には入らないのではずしたと思うんですが、もしかして武器庫のどこかにぶらさがってたりするんでしょうか?w

    それはさておき、公主?公主様?と兵士の隊長に聞かれ、古典的ギャグのように視線をそらし後ろを向く二人ですが、チュンチュ後ろ向いたら余計にバレちゃうよぉーっていう(笑)

    公主様?

    この長い髪、逃げるときも、捕まったときも、バッサバッサ振り乱しておりますwww

    ロン毛兵士2

    いや~、ピダムが助けにきて無事に逃げられて良かったですv
    (ピダムは ト ン マ ン だ け しか眼中になかったと思いますが/笑)

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    通りすがりに出会った路東洞・路西洞古墳群 【写真追加】
    慶州市街地の東側にある芬皇寺から中心部を横に突っ切って、西側にあるユシンの墓へ向かいます。
    地図
    約4Kmの道のりを自転車でえっちらこっちら。

    さすが慶州、古墳のまち。その途中通りすがりにさえぼっこぼっこ古墳があります。
    まず出会ったのが路東洞古墳群です。
    路東洞古墳群
    大きな山のような古墳は鳳凰台古墳で、積石木槨墳と推定され6世紀頃の王陵であるということですが未発掘なので被葬者が誰のものかは特定できていないそうです。
    よぉーく見たら、古墳から木が生えています…!
    そして手前にあるトラックとの比較でいかに大きいかわかります。大きさは直径82m、高さ22mであり相当な大きさです。皇南大塚も大きいと以前に書きましたが皇南大塚はふたつの墳墓がつながったものであり、鳳凰台古墳は単一の墳墓の中では最大ということです。
    皇南大塚についてはこちら→「トンマンのご先祖様!? 大陵苑 後編

    トラックの手前に、見辛いと思いますが山の頭が削られた低い台形状のものがありますが、これも古墳だそうです。時の経過とともに盛り土が無くなっていってしまった上に民家が立ち、その民家で人が普通に生活する横で発掘調査が行われたそうです。
    写真に写っているのは金銅製飾履(飾り靴)が出土したことが名前の由来になっている飾履塚で、こちらは発掘調査が行われており積石木槨墳です。
    白樺樹皮冠帽、金製耳飾り、金銅製飾履をはじめ各種の装身具、双龍環頭大刀をはじめとした武器類、各種の馬具、金属容器、漆器、土器類が出土し、その出土品から鳳凰台古墳の被葬者に関連した新羅王族男性と推定されているということです。
    飾履塚 金銅製飾履
    ↑国立中央博物館に展示されていた飾履塚出土の金銅製飾履

    写真には写っていませんが、飾履塚の隣には同じく盛り土が無くなっている金鈴塚があります。こちらも積石木槨墳で、直径18m、高さ4.5mの墳丘をもっていたと確認されています。古墳からは古墳の名前の由来となった金鈴をはじめ、金冠、金製腰佩をはじめ各種の金製装身具、騎馬人物形土器などの土器類、各種の馬具、琉璃容器や貴金属製の容器などが出土しました。こちらも鳳凰台古墳の被葬者と関連した新羅王族と推定されていますが、宝冠の頂から足玉までの距離が1mを超えず、装飾品もまた小型ということで被葬者は子どもだったのではと推定されているようです。
    金鈴塚 騎馬人物形土器
    ↑国立中央博物館に展示されていた金鈴塚出土の騎馬人物形土器


    道路を挟んだ反対側には路西洞古墳群があります。
    路西洞古墳群
    この古墳群の中には13基の古墳がありますが、たぶんこの写真の古墳群の横(←写真に写っていない部分)に一番最初に金冠が発掘され新羅金冠を世に知らしめた金冠塚があります。なにせ古墳公園になっている中には入らずに通りがかりに写真だけ撮ったのでわかりやすい古墳の形をした写真しか撮らなかったんです。まさか有名な金冠塚も瑞鳳塚も跡しか無い状態だということは、後から知りました。(…ダジャレじゃありませんw)

    金冠塚は1921年にここにあった民家の改修工事で家を掘ったところ金冠が発見されて大騒ぎになったことがきっかけで発掘調査が行われ、墳丘規模は直径45m、高さ12mほどであったと推定されています。ちなみに金冠のあった場所はトイレの屎尿溜めになっていたと聞いたことがあるんですがマジか!?その上に住んでいる人はまさかそこに千年以上も前の金の遺物があるとは思ってもみなかったでしょうね(゚Д゚;)
    こちらも積石木槨墳で、古墳からは金冠、金製腰佩などの各種装身具、金銅鞍などの馬具類、金製椀などの貴金属製容器と瑠璃容器、土器類、各種の鉄製武器などが出土しました。

    もうひとつの有名な古墳瑞鳳塚は1926年に国鉄慶州駅にて機関車庫を建てるのに埋め立てる土が不足し土砂を得るために畑の土を採掘したところ発見されたもので、発掘に参加したスウェ-デン(瑞典)の皇太子(のちの国王グスタフ6世)が鳳凰形装飾を施した金冠取りあげたことを記念して瑞鳳塚と命名されたということです。
    墳丘は直径36m、高さ9.6mほどの積石木槨墳で、古墳からは金冠をはじめ各種の装身具、琉璃容器をはじめとした各種の容器、各種の馬具類が出土しました。「延寿元年辛卯年3月にこの銀盒をつくった」という銘文のある銀盒が出土しており、延寿元年は451年とするのが有力で、被葬者はその頃の王または王族と推定されているようです。

    この瑞鳳塚から発掘された金冠は、国立慶州博物館に展示されていました。
    瑞扇塚金冠
    この瑞鳳塚の金冠、ガラスケースに入っていて豪華に照明をあびておりました。
    金冠ミッションをくださいましたmidorin様、ありがとうございましたv あまり綺麗に撮れませんでしたが、今度は金に間違いないと思います(笑)

    麗しい善徳女王
    公式ガイドブックにはトンマンが即位式でかぶる金冠のデザインは瑞鳳塚のものに似ているとありましたが、金冠本体というよりは金冠の垂飾の部分が似ているような気がしまーす。

    ※画像を選択いただくと拡大して見れるようになってます

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    夏(秋)休み話と1000拍手のお礼
    皆様こんばんはーv
    今日は珍しく予約投稿ではなくリアルタイムで投稿していますが、実は木曜日からちょっと遅い夏休みを取りまして、ソウルに行ってて今日帰ってきました。
    いつもはピダムやミセンにお留守番をお願いしてから出かけてたのですが、今回はお国同士の微妙な空気感になんとなく言いづらく、ひっそりと行ってまいりました。出発前は外務省から注意のお達しが出ててどんなもんかと思ってましたが、行ってしまえばいつもと変わらないソウルでした。ま、皆目の前の自分の生活を維持するのでせいいっぱいなのが実情ですよね。
    ということで、今回も善徳ネタ(コスプレありw ロケ地ありw)ちょいちょい拾ってきたので放出させていただきたいのですが、5月の慶州もまだ半分をやっと越えたところなんですよね(^o^;)
    いつになったら新羅ミレニアムパークにたどり着けるのだろう(爆)
    すみません、気長に見守っていただけるとありがたいです(笑)

    そういえば昨日チュンチュ(チェ・スジョン氏)主演の「大王の夢」の第一回目の放送がありまして、夜ホテル戻ってテレビをつけたら偶然やってたんですよー。
    慶州の時は王様アルチョンも見れたし、そういう偶然は妙に嬉しいです♪
    チャンネル付けた瞬間は、花郎風の頭に羽生やした人達が、ソップムの子役をいじめてる?っていうシーンでした。ソップム子役の人が今回ユシン子役なんですね。(←ややこしいw)
    でも付けた時にはもう25分位経過してたんですよね~残念、時間調べておくんでした。
    半分位しか見ておらずしかも言葉がわからず単語と雰囲気で察するしかないので話の筋にはふれられませんが、個人的な感想メモを。

    *子ユシン、ちょーかっけぇ。このまま大人にならないでぇー。というか主役のチュンチュより出番も見せ場もあるような、今回は。

    *子チュンチュが屈折してて腹黒そーに見えます。いや、何しゃべってんかわかんないんですが、顔と雰囲気が、ですw

    *花郎の衣装が真新しすぎて、なんだかコスプレっぽい印象が(汗)。色が悪いんでしょうか?

    *古墳の横を歩くシーンがあったんです。徐羅伐はあちこちに古墳がある場所なので、それがリアルを醸し出していていいですね。

    *ヨンチュンが、ヨンチュンがぁ~。ドラマいっぱい出てるチョン・ドンファンさん(冬ソナのサンヒョクのパパ)なんですね。一気に老けた感じが(笑)

    *14代風月主虎林も出てきましたが、全体的に「善徳女王」と比べるとキャストが渋いです!

    *サド太后の耳飾り等が古墳から出土したもの風な金と勾玉のものでした。でも頭に簪刺しすぎてつい笑っちゃう場面もあったり。

    *鼻荊郎(龍春の異母兄弟と説明あり)と仲間達がアクション担当な感じでした。「善徳女王」ではピダムの設定のモデルのひとつにしたといいますが、こちらの鼻荊郎は渋ワイルド風な感じ。

    *私がその日に行った高句麗鍛冶村が出てきてうわぁー♪となりました。新羅ミレニアムパークの巨大十二支像も出てきましたが、問題の新羅宮殿が出たのかは後半だけでは不明です。(←この新羅宮殿を作るために龍華香徒の砦が見れなかった私だけが、根に持って問題にしているだけですwww)

    *チョンミョンはリアルお母さんっぽかった。。。

    *恐らくこの先ユシンが恋するチョンガンニョが出てきましたが、別のドラマだとはわかっていても、トンマンでもヨンモでもない女なんて…ユシンの裏切り者!みたいな気分に。でもこの子目がくりくりしててアイドル顔でK-POPの誰かかしら?なんて調べてみたら、チャングムのクミョン姉さんの子役やってた子なんですねー。大きくなってびっくりしました。

    *女官の衣装が、え?なデザインと色彩で。なんとも絵の具で塗りましたーみたいな色合いで、裳の後ろも斜めカットになってて、まるで踊り子みたいな感じです。もしかして実は女官じゃなかったりして(笑)

    *国飯葛文王が病んでいる感じですが、何故そうなっているか気になります。スンマンの父としてどう話に絡んでくるのか楽しみなところです。

    *徳曼公主登場!途中から見たのでもしかしたらその前に登場シーンがあったかもしれませんが…天神皇女風の衣装を着て太鼓を連打。何かの祭事でしょうか?こちらの徳曼は父に捨てられたとかそういうエピソードはないので、真平王とは仲睦まじい父子な様子です。ただこちらの徳曼はなんとも女性っぽい雰囲気ムンムンなので、父が手を握るシーンは別の意味のパパなの?なんて印象が(爆)

    大王の夢 徳曼公主

    なんでテレビの画面撮ってるんだって話ですが(笑) 、人物説明のテロップが早すぎて読みとれなかったので必殺技使いましたw
    こちらの徳曼も美人さんですが、やはり私の好みとしてはヨウォントンマンが一番最高に綺麗だと思いますv

    とまずは第一回目の放送を見た(しかも半分だけ)感想でしたが、ユシンのかっこいいところで終わったので続きが非常に気になるところです。(しかし私が見れるのは恐らくずっと先になると思われ・・・)



    ということで旅行行ってました話から、ドラマの感想という流れになりましたが最後にもうひとつ。
    midorin様が話題にしてくださった我が家の1000拍手ですが、旅の最中に到達しておりました!
    すみません、この期間管理画面をしっかりチェックしてたわけではないので断言はできないのですが、たぶん9月6日の0時台に過去記事に30拍手以上も拍手をくださった方がキリ番を踏んでくださったのではないかと。
    特にキリ番企画などできなくてすみませんが、拍手をくださったすべての皆様に感謝の気持ちをぎゅうぎゅうにつめこんで(うっとうしいでしょうがw)お礼を申し上げます。
    どうもありがとうございました!
    今後ともどうぞどうぞよろしくお願いいたしますvvvvv

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    キムユシン将軍の墓?陵?
    慶州の旅のお話の前に。先日ソウルに行った際国立中央博物館にまた寄りまして、今度はゆっくり見れたのでいくつか路東洞古墳群の遺物の写真を撮ってきましたので、せっかくですから写真追加でアップしておきました。よろしければご覧になってみてください→過去記事「通りすがりに出会った路東洞・路西洞古墳群



    慶州の市街地を自転車で横断して西の方へ来ると丘陵地帯になりますが、金庾信将軍の墓という看板から山道に入っていき、その坂道を自転車でのぼること5分。いえ、さすがに漕いでのぼる体力がなく押してのぼりましたが、ユシンの墓に到着しました。
    あ、ついついドラマのユシンのイメージでユシンユシン言ってしまう私ですが、金庾信は慶州の人達の英雄です。別の日にタクシーに乗った時に窓から隍城(ファンソン)公園というところの金庾信将軍像が見えたんですが、「ユシン!ユシン!」と騒ぐ私をよそに運転手のおじさんが「ユシン公(ゴン)。キムユシン将軍(チャングン)。」とつぶやいたのを私は聞き逃しませんでした。おじさん、偉大な金庾信将軍を呼び捨てにしてしまってすみません・・・!でも私がユシン言ってるのは方向音痴がトロくさいけどそこもまたご愛敬で、質実剛健のかっこいい男オムさんユシンのことですからー!w

    案内図 
    坂をのぼりきったところに駐車場、案内図、そして券売所があります。たった500ウォンですが入場料がかかります。それだけでも整備されている雰囲気がありあり伝わってきます。
    今回はそこまで足を延ばしませんでしたが、奥には金庾信将軍を祀るための崇武殿という施設と、金庾信将軍の位牌を祀った金山齋という建物があります。

    案内図より 金庾信将軍の墓 史跡第21号 
    金庾信は金伽耶最後の王である仇衡王の曾孫で、15歳に花郎(新羅時代、青少年の民間修養団体の団員。国のために身も心も捧げる人たち)になり、武芸や知略に優れた人で、新羅が混乱に見舞われる時にはいつも先頭にたって指揮した。
    太宗武烈王7年(660)には新羅と唐の連合軍が結成されたが、そのときに金庾信は新羅軍の総司令として百済を滅亡させた。また、文武王8年(668)には高句麗を併合させ、ついには唐も韓半島から追い出した。
    墓の規模は円周50M、直径18M、高さ5.3Mであり、下には高さ1.2Mの十二支神像が刻まれた護石で囲まれている。

    その案内図の横にはこんな面白看板も。
    案内板
    アメコミ風のシュールな画風がいい感じです。武烈王の陵にもこういう看板があったので、詳しくはのちほどまた。

    碑閣
    券売所・駐車場エリアから石段を上がった所にある石碑です。「新羅太大角干」と大きく書かれている下に金庾信将軍の業績などが書かれている…っぽいです。いや、読めなかったのでw

    興武門
    死後に追封された「興武大王」という名前からとったであろう興武門をくぐり抜け墓へ向かいます。

    金庾信将軍の墓1
    見えてきました、金庾信将軍の墓。石畳の道、手入れの行き届いた植木、石段、そして墓を取り巻く柵、とても整備されているのがよくわかると思います。
    先に善徳女王陵を見てしまったうちの母は「ユシンと比べて善徳女王がかわいそう(´;ω;`)」「トンマンかわいそう(´;ω;`)」と連呼。もう帰って来てから何ヶ月も経つのにいまだに「ユシンとチュンチュの墓は立派だった」って言う位、ひっそりとしていた善徳女王陵に比べて衝撃的に豪華で立派なんですよー。
    いえチュンチュはわかります。太宗武烈王ですから。でもユシンは王に限りなく近い王族であり、死後何年も経ってから「興武大王」と追封されてはいますが、決して王だったわけではないんですよね。
    また、この金庾信将軍の墓は「伝 金庾信将軍の墓」とも言われていまして、実は本当に金庾信将軍の墓かどうかは疑わしいところもあります。まぁ太宗武烈王陵以外みなそんな感じらしいんですが。

    金庾信将軍の墓2
    円墳の周囲には石と石の柵がめぐらされ、石には十二支神像が刻まれています。この墓は文武王14(674)年に築造されたと伝わりますが、十二支神像の様式からみてもっと後世になってから豪華に祀られなおされたとしたほうが自然なようです。それに至る大人の事情ってやつを色々想像してみるのも楽しいですね。

    大角干金庾信の墓 墓標
    墓に向かって左側に立っている墓標です。「新羅太大角干金庾信将軍墓」とあります。
    『三国史記』によると、太宗武烈王7(660)年百済を滅ぼした功績によりそれまでの最高位「角干」に大の文字をつけて「大角干」となり、さらに文武王7(668)年冬10月「大角干」を上回る官位として設置された「太大角干」を贈られたということです。角干の上、角干の上の上というように一字ずつ増えていくのがなんとわかりやすいことか。

    興武王陵 墓標
    墓に向かって右側に立っている墓標です。
    673年に金庾信将軍が亡くなったのち150年経った興徳王(在位826-836年)の時代に「興武大王」に封じられたということですが、この墓標の字をご覧ください。「開國公純忠壮烈興武王陵」とあります。陵は王の墓の意味ですが、いくらのちに興武大王と追封されたとはいえ実際には王だったわけではないのに陵が使われおり、墓の豪華さと同じように、呼び方も王の扱いになっています。
    そして不思議なのが、ちょっと検索してみると陵の文字の部分ですが“陵”という字をつぶして上に“墓”と掘りなおした跡がはっきり見える写真もあるということなんです。私のと同じように、“陵”となっている写真を載せている人もいるので、陵→墓→陵とか色々変えられているのでしょうか?金庾信将軍の扱いについて色々試行錯誤している様子がうかがえて面白いです。

    では墓に近づいて墓をとりまく十二支像を見てみたいところですが、続きは次回へ☆

    ※画像を選択いただくと拡大して見れるようになってます

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    新羅のがんばる老人たち ~韓国版DVDの特典映像より~
    本日9月15日は元敬老の日(ハッピーマンデーで正確には月曜日)ですね。
    私は両祖父母とも他界しておりますので、敬老の日のお祝いとして一番身近なお年寄りである同居の両親と一緒にケーキを食べてみました。韓国ドラマを見ながら・・・←日常となんら変わらずw

    さて、敬老の日ということでこちらの老人たちが前から気になっております。

    特典映像1

    韓国版DVDの特典映像のNG特集に入っていたものなんですが、天幕の中で白髪頭のユシン爺・ウォルヤ爺・イムジョン爺・トクチュン爺・パグィ爺・コド爺ともうひとり(一番手前の人ですが誰でしょうか?)がどこかの将軍とにらみ合っている図です。

    特典映像2

    ユシン爺がイムジョン爺、コド爺に何かの準備をしろと言って(韓国語がわかりません/汗)、そして対峙したまま剣を突きつけあいます。
    その相手は百済の将軍かとも思いましたが、それよりもよく見ると相手方が毛皮を身に着けて北方系のようで、またなんとなく台詞の抑揚とかの雰囲気とかから、
    『660年の黄山での新羅・唐の連合軍と階伯将軍率いる百済軍との戦いの際に、唐の将軍の蘇定方が金庾信将軍が約束の期日に遅れたとケチをつけ新羅の督軍の金文頴を軍門のところでまさに斬ろうとしていたが、これを見た金庾信将軍は兵士たちにむかって「大将軍は黄山の戦いも見もしないで、期日に遅れたといって罪にしようとするが、わたしは罪なくして恥辱を受けることはできない。それゆえまずどうしても唐軍と決戦してそのあとで百済を破ろう。」と叫んだ。そこで蘇定方将軍は金文頴を斬るのをとりやめた。』
    という『三国史記』にあるエピソードのような場面な気も。台詞を聞き取れたら全く違うシーンかもしれませんが(爆)

    特典映像3

    が、こちらNGシーン特集なので、もちろんNGシーンが(笑)
    勢いよく剣を突き出した勢いでコド爺の大きな剣についている赤いふさふさがふっ飛んだり(笑)、ユシン爺が卓にもたれかけさせている剣を思いっきりつかんで突き出そうとしたら、鞘をうまくつかむことができず鞘をふっ飛ばしてしまったり(笑)、コド爺カットがかかるまでがんばって剣を突き出していますが、剣の重みに負けガタっと崩れ手を抑えるコド爺に笑うユシン爺(笑)とか何回も撮り直しをw

    にもかかわらずカットになって本編には入らなかったんですよねー。もしかして最終回の善徳女王陵の前のアルチョンとユシンの場面でアルチョンが「ユシンが百済を滅ぼしました」と陛下に報告したあたりに入れる予定だったのでしょうか?せっかく皆老けメイクをしたのにカットとはもったいない!!
    トンマンのチュンチュへの遺言シーンもカットになっていることですし、それらのもったいないシーンを救済して全63話にすればよかったのに~
    でもそうするとあれですかね、1話延ばした分だけ、足りない部分は韓国ドラマにありがちな最終回の回想シーンのオンパレードに(ピダムが倒れる前とか、トンマンが息をひきとる前とか)なってしまったかもしれないと思うとそれはそれで間延びしてイヤなので・・・
    これで良かったんですよね、きっとv(超プラス思考w)

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