ドラマ「善徳女王」のファンブログです

    まいつき、善徳女王カレンダー 2015年6月
    善徳女王カレンダー 2015年6月
    花郎にとって仕える主は天で郎徒は大地だ
    大地がなくては立っていられん

    トンマンとユシンの仲がぎくしゃくしているのを心配したアルチョンがトンマンに言った言葉です。
    さすが私の理想の上司アルチョン様!
    下で働くものは、上に立つ人の背中を見ています。
    上司が忠義に厚く、芯がぶれず、部下を大切に思い守ってくれる姿を見せてくれていれば、おのずと部下も上司について行きます。
    阿莫城の戦いの時にトンマンがアルチョンに言った言葉と共に、リアルに私の上司に聞かせたい言葉であります(笑)

    ※「壁紙館」様にて、カレンダー作成させていただきました。
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    符仁寺~善徳女王崇慕齋 その4
    「三光楼」の展示物の中で、善徳女王の功績について紹介しているボードがありました。
    善徳女王の遺されているエピソードを、寛・仁・明・敏 と4つのテーマに分類し、そこからうかがえる善徳女王のひととなりを説明しています。
    ハングルで書かれていてその場では私のレベルでは読めなかったのですが、『善徳女王崇慕齋』という行事が行われている善徳女王が現代の人々に実際にどのような捉え方をされているのか知りたくて、がんばって辞書使って訳してみました。よく知られているエピソードもたくさんありましたが、訳があやしくてもだいたいの雰囲気ということで許してくださいね(笑)

    ● 寛 ~寛大な心と 温かい人間愛を 持った王~
    寛

    キム・ユシンの妹ムニがキム・チュンチュと親しくなり妊娠し、キム・ユシンが妹を燃やして殺そうとしたことが国に噂が広まった。
    そして善徳女王が南山に行幸する日を推し量って庭に薪の山を積んで火をつけて煙を起こした。王は煙が立ち上がることを見て何事かと聞いた。事情を聞いた女王はキム・チュンチュの顔色が青くなったのを見てすぐ駆けつけ、事態を収拾するようにした。
    女王の寛容さがムニの命を救い後日王妃の座に上ることになったが、たとえ女であろうと男より大胆さと寛容さを持った女王の面貌を示す逸話だ。

    志鬼説話では善徳女王の温かい人間愛と真実性を垣間見ることができる。
    活利駅の人であった。彼は行幸する善徳女王を偶然見て敬慕するようになったが、遂げることのできない愛に対する絶望と恋しさで憔悴しきっていった。ある日女王は志鬼の話を聞いて、これをかわいそうに思い、後日自らに謁見できる機会を与えると伝えた。
    ゆえに志鬼は大いに喜び幾日待った後に女王の行幸を待ったが、つい女王が過ぎる時間に眠ってしまった。女王は深い眠りに落ちた志鬼を見て腕輪をはずし胸に置いて宮に帰っていった。下賎な身分の志鬼だったが、王は礼と誠意を尽くして自身の心を表現した。
    この話は徹底した身分制社会であるが、これに意に介しない飾り気の無い温かい人間愛を持った善徳女王の人柄を間接的に見せてくれる。

    ● 仁 ~民達の疲れた人生を 理解していたわった 徳のある王~
    仁

    徳と智を兼備した善徳女王は、法興王、真興王、真平王の領土拡張中心の統治の方法とは違って、国と民の平安を国家の最優先課題に置いた。国家の外形的拡張よりは民が良く暮らす国にもっと関心を置いたものだ。
    善徳女王は即位したその年に地方特使を送って男やもめ、未亡人、父母がいない子供、子息のいない老人のような一人暮らしで大変な人々に穀物を分け、救恤した。翌年正月には大赦免を下して社会の統合を図っており各城邑の税金と夫役を1年間免除して民の心を慰め労を労うことを助けた。

    有名な瞻星台は善徳女王の科学に対する関心と民に対する愛をうかがうことができる代表的作品だ。瞻星台の活用目的に対しては多様な意見があり、天文学あるいは易学研究をするためのものという主張が優勢だ。星を通じて気象を観測し自然災害を予測する行為は、農耕社会に民達が最も大きな苦情である自然災害を予防することにより、彼らが経験する一番大きな苦しい心の内を減らそうとする意図だった。

    ● 明 ~未来を予見する明晰な知恵がある王~
    明

    知機三事  善徳女王が予め言い当てる三つの話はあまりにも有名だ。その内容を見ると次のようになる。

    #1 牡丹の花に香りが無いことを話した
    唐の太宗が赤色、紫色、白色三つ描いた牡丹の絵と種を送って寄越し、絵を見た善徳女王は“この花はきっと香りが無いであろう”と言った。なるほど花が咲いた時にも香りが無かった。本当に牡丹は香りが無い花なのか?もちろんそうでは無い。ただ女王は花の絵に蝶が無く、そのように言うことで唐の太宗が配偶者が無い自分を冷やかしたとことを見抜いたことだ。もしかしたら蜂と蝶がむやみに群がれないほど女王は余りにもかぐわしい存在であったのではないだろうか。

    #2 百済兵士の侵入を予見した
    霊廟寺にある池で真冬にカエル達が集まって3、4日の間泣きたて、王が角干アルチョンとピルタンに命令を出し、兵士を率いて女根谷に行って隠れていた敵兵を撃った。なるほど王の言うように百済の兵士が潜んでいて、皆撃って殺したという。
    これは霊廟寺の蓮池である玉門池の色と怒ったカエル達の顔が比喩するところを呪術的に解釈して、女の体に似る地形である女根谷に敵軍が隠れていることを見抜いたのだ。

    #3 自分が死ぬ日を予め言い当てた
    善徳は自身が死ぬ日を正確に話して、臣下達に自身を忉利天に葬るよう言った。臣下達がそこがどこか尋ねると南山の南の方角と言った。忉利天は仏教で言うところの天上世界で四天王天の上にあるところだ。もちろん臣下達は訳もわからないまま、王が死んだ後南山の南側に葬った。それで文武王時代三国統一を念願する王の墓の下に四天王寺を立ててようやく王の予言が実現されたので、皆善徳女王の神霊らしさと神聖さに感心したという。

    ●敏 ~リーダーシップと統治力で輝いた王~
    敏

    善徳女王の在位当時最も大きな任務は、百済と高句麗の攻撃から国を守ることだった。王は兵乱の時期を人材登用と外交術で乗り越えた。最高の人材を発掘し適切な職を配置することをもって女王の限界を克服した。王は全面的な自律と重大な責任を与えた臣下をして任務を完遂するようにして、臣下が危険に陥った時最後まで救うよう命じて、王に対する忠誠を導き出した。キム・チュンチュとキム・ユシンは善徳女王の卓越した人材登用を見せてくれる事例だ。このような人材活用によって女王は新羅三国統一の基礎を作った
     
    初めて唐の国子監に王族の子弟達を留学生として派遣したことも、善徳女王時代のことだ。また王は自身が不足した部分に対して、周辺の人たちの助言を聞くのをためらわなかった。文と武を兼備した優秀な人材を発掘して国政の運営に参加するようにして、仏法に優れた法師の建議を積極的に受容したりもした。
     
    善徳女王は外交の重要性に対してもかつて理解していた。唐に使臣を送って持続的な関係を結び、危機の瞬間に派兵を要請した。唐太宗は新羅の支援要請に ‘女王が在位している隣の国は無視する’という言うほど、善徳女王を信じなかった。だが、善徳女王は持続的な説得と懐柔を通じて唐との連合を導き出して、新羅の側で三国関係を取り結んだ。
     
    それでも善徳は女王になって3年で仁平という独自的年号を発表した時、中国を伴わない独自的年号を用いたことはそれくらい自主的に独立的な国家運営の意志を盛り込んだとすることができる。


    以上です。善徳女王がどれだけ優れた女王であったか、そして人々に愛されているかが伝わってきます。
    さて私たちが大好きなドラマ版「善徳女王」ですが、領土拡大よりも民の安寧に関心をおいたこと、瞻星台を建設して自然災害を予防し民の苦労を減らしたこと、卓越した人材登用によって三国統一の礎を築いたこと、独立的な国家運営の意志を盛り込んだことはドラマ内にも出てきていました。
    他のエピソードは直接的にドラマ内には出てきませんでしたが、仁のエピソードの「たとえ女であろうと男より大胆さと寛容さを持った」と読み取れる部分や「飾り気の無い温かい人間愛を持った」と読み取れる部分は、別の形ではありましたがドラマ内のトンマンのキャラクターを形成する要素として出てきていました。
    本物の陛下とヨウォン陛下、どっちもやっぱり大好きですv

    *その5へつづく*
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    符仁寺~善徳女王崇慕齋 その5
    お待たせしておりますが、やっとメインイベントの崇慕齋が行われる「崇慕殿」へ移動します。
    が、「崇慕殿」に向かう途中すれ違う人がパンフレットのようなものを手に持っていたんですよね。私も欲しい~。
    今回は昼食を来訪者にふるまうとのことでその特設テントが出ていたんですが、そこに行ってみるとパンフレットが山積みになっていていただけました。
    スモジェパンフ
    パンフと一緒に楽譜もいただいたんですが、えー?合唱とかもあるんでしょうか?
    そしていただいたお礼を言って立ち去ろうとしたら呼び止められて、こちらもいただきました!
    餅
    蒸しパンみたいな食感のもので、たぶん米の粉を蒸したお餅でシルトックというものではないかと思うんですが、これがものすごく美味しかったんですよ~。よもぎの味が噛めば噛むほど味わい深くて。しかもいただいたときまだほっかほっかで、朝早くから作られたんだなぁと思ったら心まであったかくなりました。

    そして「崇慕殿」です。
    崇慕殿 2
    善徳女王を祭る「崇慕殿」は周りが塀で囲まれて、独立した空間になっています。
    当日は残念ながら雨予報で、幸いにも開始時は霧雨で傘は差さずに済んでいたものの、空には厚い雲が覆っていていつ雨が降ってもおかしくない状態でした。しかし大きなテントの屋根がイベント用に設置されていたので、途中から雨が降ろうとも安心でした。
    崇慕殿 1
    こちらが「崇慕殿」です。
    前には牡丹の花が植えられていますが、ちゃんと香りのある牡丹かと思います。香りを嗅いだわけではないですけども(笑)
    崇慕殿 4
    正面から。
    いつからかはわかりませんが、1991年まではここには「善徳廟」という名の祠堂があり、善徳女王を祭っておりました。現在の「崇慕殿」はそれ以降新たに建てられたものです。
    真ん中には陛下の御真があります。
    御真
    儀式が始まる前は前の赤じゅうたんが敷いてあって近づきづらかったので、これは儀式が終わってからの写真です。なので儀式の最中に備えられたお供えものも写真には写っています。
    「三光楼」に展示してあった陛下の衣装復元は、この御真の陛下の衣装を再現しているんですね。

    崇慕齋は11時からのスタートですので、椅子に座ってしばし待ちます。
    って、この時30分位前だったんですが、撮影スタッフがカメラテストを行っている最中でまだ観客も集まっておらず、前のほうは貴賓が座るということで、後ろのほうなら大丈夫と言われ写真の撮りやすいベストポジションを陣取れたんですが、まさかあんなに立ち見が出るほどお客さんが来るとは思ってなかったんですよねぇ。
    開始時刻近くになり、貴賓や出演者の皆さんがどんどん席を埋めて行きましたが、立ち見もたくさんいて、確かにいいとは言われたんですがあれ?私こんないいとこに座ってて良かったのかしら?などと思ったのはあとの祭り(笑)
    という私の心の内にもかまわず、時間になりまして崇慕齋スタートです!

    まずは鳴鐘、符仁寺総務チョンウォン僧侶によって「玄音閣」の鐘が鳴らされます。
    あ、進行内容やお名前はいただいたパンフレットを参照させていただいております。
    鳴鐘
    「崇慕殿」前に設置されたスクリーンには、「玄音閣」からの中継の様子が映し出されています。「玄音閣」にセッティングしていたカメラはこのためだったんですね。
    静寂につつまれた山の中に厳かに鐘の音が響き渡ります。

    次は、蓮花寺主事トンホ僧侶とチソン僧侶による三帰依です。
    調べてみると三帰依とは、『仏と法と僧の三宝を心から信頼し、尊重すること。仏教徒の根本的な態度であり、生き方である。「仏に帰依し奉る。法に帰依し奉る。僧に帰依し奉る。」と称える。』とのことでしたが、私のレベルじゃ仏教用語は難しすぎてまったく聞き取れません。

    次は菩薩による六法供養です。
    真ん中の通路にさぁーっと敷かれた赤いカーペットにスモークが焚かれまして、後ろから菩薩のお姉さま方の登場です。
    六法供養 1
    ‘香’‘藤’‘茶’‘果物’‘花’‘米’のお供えものを手にもち、各二名ずつ入場します。
    六法供養 1
    で見てください、この菩薩のお姉さまたちのお衣装を。
    袖の部分やチマの部分が何重にもヒラヒラしていてすごくかわいいんですよー!
    六法供養 2
    途中このスモーク量が多すぎて、肝心の行進が見えなくなった場面もあり。炊きすぎだっちゅーのw
    それに六法供養の前にスタッフが赤いカーペットを横切ったんですが、それが泥のついた土足のままで、カーペットには大きな足跡がくっきりと!なんとも韓国っぽいなーとちょっと笑っちゃいました(笑)
    六法供養 3
    12人の菩薩が陛下の御前に手にもつお供えものを備え、一斉に拝礼し合掌した姿は壮観でした。

    *その6へつづく*
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    符仁寺~善徳女王崇慕齋 その6
    続きましては大邱仏教総連合信徒会会長リュ・ビョンソン女史による、 発願文奉読です。
    発願文
    発願文とはなんぞや?という感じですが、ぐぐってみると「神仏に祈願の意を伝えるための文書。」ということで、崇慕殿に祭られているのは善徳女王ですので、陛下に祈願の意を伝えるための文書の奉読、ある意味陛下へのお手紙を読みましょう、みたいな感じでしょうか。

    陛下を讃える内容だったので、パンフレットに載せてあった全文をご紹介します。
    これ、私のレベルには凄く訳すのに難しかったので、おかしなところがあるかと思いますが、ご容赦くださいっ。

    ●発願文

    優婆尼徳曼の名前に生まれ経たあなたのやるせない歴史を記憶しています。それはゴーダマシッタルダの雪山苦行と同じこととよく知っています。善徳の名前に新羅を統治した輝かしい歴史を記憶しています。そのうえ後日須弥山頂上の忉利天を主宰する弥勒菩薩と違わないことを知っています。あなたが私達の鎮山中岳八公山の片隅で洪水と氾濫に萎える私達を救いだし、私達がこの場所に100年の間先業を均してくれるこの輝かしい果報を記憶しています。

    慈しみ深い人よ!

    皇龍寺九重塔を建てながら新羅を脅かす九つの国に口論をしかけながらも、同じ血筋である高句麗と百済を憎まずその時すでに統一を念願していた慈しみ深い人よ!

    やさしい人よ!

    その何も欲しがらないで、上下区分なく民の救恤に誰よりも先頭に立つやさしい人よ!

    明朗な人よ!

    女性の時代を最初に導き、境なくすべての人を引き継いでくださって、 瞻星の土を踏みしめ星を愛した明朗な人よ!

    知恵のある人よ!

    淡々と何のそぶりも出さずすでに予知した3種類の話で私達の胸に響いた知恵のある人よ!

    善徳よ!女王よ!

    忉利天と闡明した慶州南山のふもとがあなたの遺沢なら八公山符仁寺はあなたの願刹です。私達は昔話が伝えてくれたあなたの尊い名目、寛・仁・明・敏を追った生涯を維持し、年を過ごし終えていくかもわからないその時間まで聖祚皇姑の尊い名前がついていくでしょう。

    私達は寂しいので決めたならどこにであれ行けないでしょう。行くことに命をかけるなら背負った年は問題でしょうか。あなたが決めて、あなたが命をかけた理由を私達はよくわかっており、どうぞ、善徳無窮花満開の符仁寺崇慕殿で大きな丘を見下ろしこの世を生きていくことに切ない多くの衆生たちを限りなく導きいただけるよう符仁寺会主ソンタ僧侶の情け深さを祈り僧職チュンシン僧侶と名もない士夫大衆がひとえに発願します。


    続きましてはポンウォン寺ヒョンソン僧侶とみなさんによる梵唄試演です。
    梵唄
    梵唄とこれまた聞き慣れないものが出てきましたが、梵唄とは「 仏典に節をつけた仏教音楽のひとつで、儀礼に用いられる。仏の徳をたたえて梵語で経文や偈(経典中で詩句の形式をとり、教理や仏・菩薩をほめたたえた言葉。)をとなえるもの。」とのことで、韓国では重要無形文化財50号に指定されているという貴重なものを見せていただきました。
    梵唄
    はじめ皆さん一列になって、木魚のようなもののリズムに合わせて、お経を節をつけて歌うように唱えておりましたが、途中笠を被ったお坊様が前の赤いじゅうたんの方へ出てシンバルみたいなものを鳴らしたり、手首を返してスローリーな阿波踊りみたいな動きをしたり、鳥のように手をひらひらさせて舞ったりしておりましたが…言葉で説明するのは難しい~動画で撮っておけば良かったわ。
    舞い係の尼様、じゅうたんに上る度にちゃんと靴を脱いで上がってたんですが、途中で靴が飛んでいって靴見失っちゃったんですよー。仕方ないので最後足袋のまま土の上に立ってたんですが、私からは靴の在りかが見えていたので、結構長めで歌詞(?)が難しくてわからないこともあり、そっちのほうが気になっちゃいまして。靴はそっちよーって(笑)

    *その7へつづく*
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    符仁寺~善徳女王崇慕齋 その7
    なかなかレポが終わらない善徳女王崇慕齋(笑)、続きましては桐華寺住職ヌンド徳門僧侶による法話です。
    法話
    符仁寺は同じ八公山にある桐華寺の系列であるので、桐華寺の住職様がVIPゲストとして来ており、お話をしていただきました。
    ありがたーいお話をしていただいた、と思うんですが、例に違わずリアルタイムでは内容までわからず。
    しかしパンフレットに挨拶文が載っていたので、当日同じお話をしていたかどうかはわかりませんが、心を打った部分を抜粋します。

    ***

    善徳女王は我が国最初の女王でその知恵は聡明で難しい政局を賢明に乗り越え、人柄が慈しみ深く民を兄弟姉妹と同じ人とし人材を大切にし、その徳化は四方にあまねき民が平安で国は治まっていました。また持国仏心で符仁寺を創建して、皇龍寺九重木塔を創建し仏教浄土を夢見て三国統一の基盤を磨きました。

    今日私達がこの符仁寺で崇慕齋をあげることは三国統一を願い民たちの安寧を切願した善徳女王の知恵と精神を見習うためです。私達すべての子孫たちは善徳女王の知恵と慈悲心を鑑にして明るい知恵で難しい難局を切り抜け、隣人を私の身体と同じようにいたわり皆が幸福な社会を作り出すことに一緒に努力しなければいけないことです。今年は朝鮮半島が分断されて以来70周年になりました。今日‘符仁寺善徳女王崇慕齋’を通じて南北統一の礎が整いこの時代難しい難局を乗り越え出ることができるきっかけにあることを心から願います。

    そして崇慕齋行事は大切な伝統文化を継承して、女性の社会的意識を高めながら、国民精神を高揚し同根意義を持ち重要な行事であるほど伝統と文化の都市である大邱広域市の市長をはじめ関係者のみなさんに崇慕齋が地域を代表する文化行事に定着できるように持続的である関心と支援をよろしくお願いいたします。

    ***

    南北統一の願いと三国統一の願い。別々にわかれた同じ民族の国をひとつにしたいという思いは、今も昔も変わらないんですね。それを成し遂げる礎を築いた善徳女王の仁智徳を讃え私たちも見習うための大切な伝統行事なんですね。

    続きまして、来賓のみなさんによる祝辞です。
    2名ほどご挨拶しておりましたが、そのうちとても盛り上がったがこの方です。

    崇慕齋の一番最初に司会より来賓のご紹介があったんですが、そのときもこの方が紹介されると観客が盛り上がっていまして、更にこの挨拶の場に立つとやんややんや喝采をあびておりました。どなたかしら?と思っていたら、モニターに国会議員という肩書きが書いているのが見えました。
    地元出身の議員さんなんでしょうか?みなさんの盛り上がりが、おらが町の大先生!みたいなノリで、皆さんの盛り上がりが凄かったです(笑)
    結構笑いをとる軽快なしゃべりで観客の心をぐっとつかんでおりました。

    続きまして、符仁寺住職チョンジン僧侶による挨拶です。

    こちらもパンフレットより一部抜粋します。

    ***

    符仁寺は善徳女王と縁を結んでから100年余り、その中より仏様と違いなき格を整え、祀ってから今年で29年です。仏様の住まいである‘殿’をつけ祟慕殿と名付け、王の御真を伽藍に祀ったものは我が国寺院には私ども符仁寺を除外してその類例はありません。この八公山新武洞村人たちは700年余りを守ってきた符仁寺でまた29年を守り、このような歴史文化的‘一大事’を誇らしく考えてきました。

    王即仏時代に生まれた経典の貴重な名前である徳曼をかけて善徳の名前を備えた王につき、知幾三事で世の中を予見してみ、統一の希望を用意し、救恤にすべての民を懐に入れる善徳女王の生涯は私達に大きく光を与えています。

    今符仁寺で善徳女王を祀る心はすでに‘習’ができあがっていました。
    ‘しばらくの繰り返された考えか、その考えに基づく仕事’とは事前的の意味もあるが、肯定的な意味で‘習’と言う、自身の心中に形成されている価値観だと思います。これが間違って積もるなら、ストレスになり、我執ができあがり‘習’と言うよく否定的意味を持つこととなります。
    それは仏様に学ぶことのできる最も大きな価値である‘大自由’を損なうことです。‘習’を守る‘我執’に自由な人になることはまさに私達が善徳女王に学ぶことができる‘価値観’になりました。

    ある詩人が名前がわからない草花を置いて、‘名前は知ってみると隣人になって色彩を知ってみると友達になった…よく見ると綺麗だ。長らく見ると愛らしい’と歌いました。符仁寺は私達の久しい歴史の中で名前はおぼろげな草花のように過ぎました。今この疾駆のように、私達は今日も‘ 善徳女王崇慕齋’を長い間見守り、皆さんに愛をお受けます。

    ***

    うーん、難しい(>_<) 私の訳が怪しいせいもありますが、なにせ韓国の仏教がよくわからないのでさらに難しさにも輪がかかります。
    ともあれ、仏像と同じように陛下の御真を祀るということは陛下が神格化されているとも受け取れますが、それは善徳女王が仏様にも似た慈悲の心で民を救恤し国を統治したからこそと言えるのでしょうね。

    *その8へつづく*
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