ドラマ「善徳女王」のファンブログです

    新・MBCドラミアへ行ってきた! その43
    <2014年3月のドラミア訪問時の記事です>

    さてさてさて、しばらく『新羅ミレニアムパーク』のネタが続いておりましたが、お次はまだ終わっていなかったドラミアネタを(笑)
    本日は陛下のお住まい「仁康殿」です!

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    しかし、あれ?雰囲気がだいぶ変わってます!
    41話
    こちらは善徳当時41話の仁康殿ですがこれと比べると、金の模様が華やかな外壁がシンプルに変わっただけではなく、前側の柱1間分の壁を取り払って、エントランス部分が奥に下がった形にリフォームされています。
    これはかなり衝撃的です!

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    また、建物の向かって右側ですが、建物の横の通路が黒い塀で塞がれています。
    21話
    21話で、ユシンと逃げたトンマンを見つけたと、スパイから伝書鳩で密書を受け取るソルォンさんですが、このように撮影当時はその黒い塀はなかったですし、また後ろのほうに建物はなかったので、裏の野山がよく見えておりました。
    15話
    その塞がれた通路の奥では、15話で目の見えないチルスクとトンマンが出会い頭にごっつんこ。この後チルスクはソファを探して仁康殿正面方向に歩いてくるのですが、通路が塞がれていたらチルスクがぶつかっちゃいます(^^;

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    次に、仁康殿正面の石段を昇って後ろを振り返ってみます。
    あらら、足元の石のタイルが崩れてしまってますね。
    2 59話
    59話、烏羽扇の密書の件の言い訳に陛下に会いに来たピダムです。
    門の前に植えられていた植木は当時と変わらないですが、当時あった四角い門柱の上にある二段重ねの蓮の花のようなものは無くなったんですね。
    また瓦の色もオレンジっぽく変わってしまっています。この時撮影していたのは「奇皇后」。高麗または元風への変更でしょうか。

    ちなみに、建物の中はどうなっているんでしょう、陛下の寝室♪とワクワクしながら扉を開けてみたら、
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    なんと中は書庫になっておりました(笑)

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    新・MBCドラミアへ行ってきた! その44
    <2014年3月のドラミア訪問時の記事です>

    あまりの変わりように衝撃を受けた陛下の住まわれる仁康殿ですが、気をとりなおしてその裏手にまわってみます。

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    仁康殿向かって左側にある門です。釣鐘のような形をした扉が特徴的です。
    12話
    12話、ユシンパパ襲撃犯の濡れぎぬを着せられたトンマン。

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    その門につきあたって、右を向いたところです。
    大道具や小道具がなんとも無造作に置かれていますね(笑)
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    善徳っぽいデザインの扉もありますが、どこにあったものかはわかりません。
    そして大きな甕がありますが、これ、仁康殿の入り口に置かれていたものですよね。
    49話
    49話、パグィが斬り付けた兵士がその中にドボン!

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    仁康殿の反対側にまわって、先ほどの道を反対側から見てみます。
    こちら側ももはや物置状態(笑)
    16話
    16話、ミシルが啓示を受けたという「人力ロ」の意味を、ユシンがパパにこの道を歩きながら説明しております。

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    仁康殿の裏側もまた、雰囲気が変わってしまっています。
    41-2話
    41話のミシルに会いに来たセジョン・ハジョン親子のシーンですが、この仁康殿の裏側は、神殿そしてミシルの宮として使われていました。
    建物を良く見ると、仁康殿の正面側とは逆に、善徳当時奥まったエントランスになっていたものが、柱と柱の間に壁が作られ、また窓のデザインなども変わってしまっていて、かなり大幅なリフォームとなっております。
    また建物の前は何もなく、この建物の前でポジョンなどが訓練を行う場として使われていたシーンもあったのですが、その場所に屋根付きの回廊のようなものが新たに建てられてしまっていますね。
    45話
    45話、反乱を起こしたミシル側の兵に追われるトンマンとチュンチュ。

    そしてこの仁康殿の横や裏側は当時はそこがドラミアの端で何もなく、すぐ裏手に山や森があったんですよね。
    30話
    なのでそこは30話ではチョムソンデの建設現場になっていたり、36話ではミシルの孫と婚姻を迫られたユシンが一人座り込んで悩んでいたり。
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    そこはこんな感じに新たに「馬医」のための撮影場ができていました。
    善徳撮影時の面影が無くなっていくのは寂しいですが、こうして新しいドラマが作られていくのですから仕方ないですよね。「馬医」はヨウォンさん出演ドラマなので余計に寛大に思えるというのもありますが(笑)
    ちょうどこの時その「馬医」セット場で、「奇皇后」の撮影が行われておりましたそちらには入ることができなかったんですが、隣接するこの仁康殿エリアにもスタッフさんがいてすぐにここの閉鎖されてしまい、あまりゆっくり見学することができなく残念でした。
    リアル活用している撮影場なので仕方ないんですけどね(^^;
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    冬の慶州旅 その17 新羅ミレニアムパーク 祭りのあとは…

    〈2015年12月の慶州訪問時の記事です〉

    昨年末に訪れた「新羅ミレニアムパーク」の様子をお届けしておりましたが、開園してから5年経っているせいか、または冬れも年越しを目前にした日にちが悪かったせいかわかりませんが、とても園内はガラーンとしておりました。

    そして更にそのガラーンとした寂しい雰囲気を際立たせていたのがこの看板たちです…。

    ミレニアムパーク 4

    見えますか?

    近づいてみましょう。

    ミレニアムパーク 1

    うわぁーん、倒れてるは、壊れてるは、色褪せしてるわ、な、このミレニアムパークで撮影した場面を紹介した看板達があります。

    取り壊されてしまった「龍華香徒の砦」の分ならまだわかりますが、


    ミレニアムパーク 2

    まだ健在の「ミシル宮」のも放置~~~(泣)

    ミレニアムパーク 3

    別の場所には貴族の屋敷に掲げられていた看板もまた放置…。

    うーん、撤去してお客さんの目に触れないところに置かないのが韓国っらしいちゃらしいおおらかさ(笑)

    ミレニアムパーク 5

    新羅の衣裳が着れて撮影のできるスタジオも扉が閉まっており、中を覗くと衣裳がたくさんかかっていた棚には何もなく、他のものも無くなっていて廃墟のようになってました。

    冬期間で人が少ないので限定で閉めているのか、完全につぶれてしまったのかはよくわかりませんが、ここで出来た事をご覧になりたい方はこちらからどうぞ(笑)→過去記事「新羅ミレニアムパーク その2 伝統衣裳体験

    ミレニアムパーク 6

    伝統工芸を体験できるスペースに、善徳垂れ幕がまだ残ってた~♪

    誰一人いませんてしたが(笑)


    ミレニアムパーク 7  

    別の垂れ幕も。

    案内として健在なのか、ただ掛けっぱなしになってるかは定かではありません(汗)

    一度訪れたらほぼリピートする人はいないと思うこのパーク。(一名の善徳オタクを除いてw)

    無くなってしまわないか心配ですが、ここはひとつ再度慶州ブームを起こすためにも、新たに新羅をテーマにしたドラマを制作していただけたらいいんですが。

    オム・テウン氏主演『キム・ユシン将軍』とか、ユン・スンホ君主演『太宗武烈王』とかw

    トンピは回想シーンという体で新たに撮影して登場していただければ本望です!

    という果てしない妄想にてミレニアムパーク訪問を終わらせていただきます(笑)

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    冬の慶州旅 その18 蘿井
    〈2015年12月の慶州訪問時の記事です〉

    いきなりですが、27話。
    27話 ナジョン
    エセ予言者ピダムのパフォーマンスで、双子に関する予言の続きが刻まれた石碑が現れる場面。
    また、そこからさかのぼること第16話。
    慰天祭にて「東市にある蘿井に天の意思がある 謹んで啓示を受けよ」というミシルの啓示によって「人力口」という文字が刻まれた仏が現れた場面の舞台になったのが「蘿井(ナジョン)」という場所です。

    月城から南に約2キロほど行った場所に、「蘿井」という史跡があります。このドラマ内の蘿井と同一のものかはわかりませんが、今回行ってみました。

    ナジョン 1
    もう少し南へ行くと南山(第1話にてムンノが啓示を受けた磨崖釈迦如来坐像のある山)がある丘陵地帯に蘿井はあります。

    ナジョン 2
    日本語でも説明書きがありました。

    『三国史記』『三国遺事』では、この井戸の周辺で新羅の始祖朴赫居世が生まれたという伝説がある。紀元前69年。ある日高墟村長の蘇伐公が、井戸の周辺で白い馬がひざまずいているのをみて、不思議に思って、そこに行ってみたら、馬は姿を消し、その場所には大きな卵があった。やがてその卵から男の子が生まれたが、13才のとき(紀元前57年)に、6部村長の推戴によって、王になり、国を「徐羅伐」と名付けた。
    ここはいまも井戸が残っており、朝鮮時代純祖3年(1803年)に建てられた始祖王朴赫居世の由緒を示す遺墟碑がある。

    ナジョン 4
    中はこんな感じで、発掘調査が終わり、少し盛り上がった遺構だけが遺されています。

    ナジョン 6
    2002年から2005年まで発掘調査が行われ、一辺の長さが10m、面積300.27㎡の八角の建物の遺構、長さ50m、幅120mmの垣根の遺構、井戸一箇所の遺構、そしてその他瓦、土器、鉄材等が出土したようです。
    そして2007年から2020年までにこの土地を市で買い取り、柵や駐車場などの整備を完工する予定であるようです。
    2015年時点で柵で囲まれていたものの、周りにはなーんになかったですけどね(笑)

    ナジョン 5
    これが井戸址でしょうか。石のフタは開きません。
    この前でピダムが座ってどっかーんってやっていたとか想像すると面白いです。

    ナジョン 3
    そしてこれが説明書きにあった、朝鮮時代純祖3年(1803年)に建てられた始祖王朴赫居世の由緒を示す遺墟碑でしょうか。
    整備中とはいえこの放置の仕方、いつもながら韓国らしいですねぇw
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