ドラマ「善徳女王」のファンブログです

    雁鴨池アナプチあなぷち
    と、並べると“あなぷち”が一番かわいいかも v
    なんていうことはさておき、月城から東門跡の方を抜けて国道を渡ると雁鴨池(アナプチ)があります。
    雁鴨池という名前は、朝鮮時代の詩人が池に飛んできた雁と鴨の姿を見て名付けたといい、本来の名前は月池といい、月城の東宮(太子が暮らす場所)として、また大切なお客様を迎える時に宴を開いたりもしたようです。
    新羅の三韓統一後にチュンチュの息子である文武王の時代に作られたようなので、善徳女王の時代にはなかった分私的にはあまりテンションもあがらなかったんですが(すみません!)、ここは必ず観光ガイドブックに載っているので一応行ってみました☆

    新羅滅亡以降、建物と築台が崩壊し池のみが残りその名さえ忘れられた経緯があったようですが、発掘によって池と周辺の建物址から3万点余りの遺物が出土し、それにより新羅王室と貴族の華麗な生活を窺い知ることができたことで注目されるようになりました。
    たとえば、酒宴で使われた遊具でありドラマの中でも出てきた酒令具はここの池の底の泥の中から出土しました。
    過去記事→「勝手にさいころ祭り

    雁鴨池館 模型
    国立慶州博物館の雁鴨池館に展示してあった雁鴨池の模型を2階から見てみました。
    白い数字とアルファベットは私が書きいれたものです。

    入場料を払って(1000ウォン≒70円)中に入ると、一番最初に目に入るのがこんな感じの風景です。一見何にもない野っぱらのように見えますが、
    雁鴨池 建物址
    柵の中の緑の部分には建物址の遺構が広がっています。基壇部を新たに作った後、本来の場所に礎石を置いて建物の規模がわかるようにしてあります。

    そして池のそばにあった5棟の建物の内、3棟は発掘後に復元して建てられました。

    雁鴨池 復元1
    模型の1番の位置にある復元建物です。
    中に雁鴨池とは直接関係ありませんが、月城にかかっていた月精橋の1/15サイズの模型が展示されています。
    月精橋 模型
    天気が良かったので日の光がガラスケースに反射して中が見辛いと思いますが、橋といっても上に屋根のついた回廊式になっていて、細工も細かく非常に豪華なつくりになっています。
    実際のものは長さ63M、幅9M、高さ9M(楼橋17.5M)という巨大なもので、月城の南側に流れる南川にかかっていました。統一新羅時代の最盛期である景徳王19(760)年に築造されたということで、当時の国の勢いが感じられますね。

    雁鴨池 復元2 
    模型の2番の位置にある復元建物です。復元してある建物の中では一番大きいものになります。中には当時の雁鴨池の模型と出土品のレプリカが展示してありました。
    雁鴨池 模型
    これまた反射して見辛くてすみません。最初に見た礎石しかない遺構の部分にこの先もし建物が復元されたら、こういう風になるんですねー!ぽつぽつと建っている復元建物を見てもあまり感動はありませんでしたが、このように回廊でつながれている建物を見ると、ドラマで出てきた建物っぽくて興奮します(単純すぎる…笑)。

    雁鴨池 復元3
    模型の3番の位置にある復元建物です。他のふたつに比べて小さめです。

    雁鴨池 全景
    池の形はふたつの模型を見るとよくわかりますが、建物のある西側の方は直線的になっていますが、東側は曲線を描いています。これは直線からなる開放的な空間と、曲線からなる閉鎖的な空間が繰り広げられることで、空間を実際より広く見せる効果があるといいます。
    また、建物がある西の部分のほうが東に比べて2倍以上高くなっており、これはまるで海を見下ろしているような感じがします。池という限られた空間をあたかも広い海のように見せる苦心の仕掛けであり、正殿が「臨海殿」という名称だったこともそれを暗示しています。
    その「臨海殿」は歴代の王が臣下と共に宴を開いた場所だそうですが、新羅最後の王である敬順王が高麗の太宗王健のために宴を催した場所もここであったということです。滅びゆく国の王とそれを吸収して大きくなる新しい国の王がこの地で杯を酌み交わしたという歴史がここにあったんですね。三韓統一をめざし新羅そのものでもあったトンマンを思うと、この栄枯盛衰に胸が痛くなってしまいます。。。

    雁鴨池 小島
    よぉ~く見たら、池の中に鯉がいました。
    池の中には大・中・小の島がありますが、これは道家の三神山と巫山12峰の崇拝思想の影響を受けているようで、池に3つの島を作り、池のふちに12峰にならった小さな山を築いたといいます。どうりで池のまわりが坂の連続になっていたわけです。

    雁鴨池 水溝
    池の水はこの模型Aの位置にある引水口を通して河川から水を引き、ここを通して雁鴨池に入ります。この引水口は二つの水槽が上下にあり、これは水に混ざった砂利や砂を濾過する役目を果たしています。この水槽を通って水は雁鴨池の中に垂直に落ちますが、落下地点に平らな石を敷いて、底の侵食と汚水の発生を防いだそうです。また池の中の島は、入水口を通って入ってきた水の流れを遅くして、池の侵食を防ぎ、水が自然に循環する役割をしています。
    池の反対側の模型Bの地点には排水口があります。排水口には3つの穴が縦に付いていて、この穴に木の栓をして水位を調節したそうです。
    雁鴨池もまた瞻星台のように、細部まで科学的に作られていたもののようですね。

    この雁鴨池は『三国史記』に文武王14(647)年2月「王宮の中に池を掘り 山をつくって草花を植えたり 珍しい鳥や獣を飼ったりした。」と記述があり、そのなごりかどうかはわかりませんが雁鴨池にもリスがいました。
    その内の一匹のリスがですねー、ずっと付いてくるわけですよ。まるでストーカーのごとく(笑)
    途中で少し休もうとベンチに座って水を飲んでいても、そのまわりをぐるぐる回るんです。食べ物がほしいのかなと思いつつ、かわいいけども餌付けしちゃいけないと思ってスルーしていたらなんと!素晴らしい跳躍力で、ベンチに座るうちの母の広い背中にキーーーック(爆)まるで無視すんなやと言わんばかりにw
    リス
    犯人はこいつです。こいつの顔にピンときたらご用心!w

    雁鴨池は観光地だけあって大型バスが次々ととまり、私がいた時には修学旅行生みたいな生徒たちがたくさんいて、あちこちで団体写真を撮る風景が見られました。なのでこうゆっくり庭園を眺めるという雰囲気でもなく、またあまり風流のわからない私としては、足早にまわってしまいまして。
    夜は瞻星台と同じようにライトアップをしているので、行った方の写真を見ると夜の方が幻想的で素敵だと思いました。昼はただの庭園…(略)。
    ですので、雁鴨池は夜に行かれることをオススメします!(私は見てないけどもw)

    ※画像を選択いただくと拡大して見れるようになってます

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    建物模型
    mukuge 様

    本当に毎度のことながら、詳細なレポートに驚きと感謝です。「あなぶち」、往時の栄華を偲ぶにもってこいですね。
    私は建物模型(歴史物に限る)を見るのが好きなので、こちらの模型も涎が落ちそうです(笑)。実は、復元建物より模型のが好きなもので。ここへ行くときが来たら、オペラグラスを忘れないようにしようと思います。
    (東京の「大江戸博物館」で、オペラグラスを手に、涎をたらしながら鹿鳴館模型や銀座の街並み模型を食い入るように見ているおばさんがいたら、それは私ですwww。)

    midorin | URL | 2012/07/04/Wed 20:49 [編集]
    本来の名前は月池だったんですね~
    ということは読みは「ウォルチ」ですかね。ウォルヤとソルチの合体名前みたいだわ~と思いつつ今晩はv某芸能人の離婚泥沼裁判も、「おお、ミシルの「美」と大元神統の「元」でミウォンなのだな!」とか思ってま~す。

    さて突然昔記事にとんでおいて、実は強欲リスにひっかかってしまいましたw名付けて「ここまでついてまわったアタイの苦労を返しやがれキーーーック!!」てことでv

    パリ旅行へ行った人から、ベルサイユ宮殿の池にいた白鳥も、エサくれエサくれってせっつくのを無視していたら、翼をわっふぁわっふぁさせながら走って追いかけてきたという恐怖体験(笑)を聞いた事がありますw

    観光地の動物は商売上手になっちゃてるんでしょうか。にしてもなぜお母さまの方にキックを。mukugeさんの方にやったら生け獲りの上お持ち帰りされてエゾリスにされてしまうとでも思ったのでしょうか。

    あ、それからコメント欄熟読友の会会員として、人様の会話からふと思いついた話なんですけど。陛下の墓について緋翠さんとお話されてたじゃないですか。んで

    〉〉善徳女王陵って、忉利天に葬るようにという遺言により狼山の南に陵が作られたというお話ですが、そこが本当はピダムとの思い出の場所で、ピダムが予め選定していたとか妄想すると萌えますが、実際のところ景色がいいとかそういう場所でもないのが苦しいところではあります(笑)

    とおっしゃってましたがどうでしょう、ピダムがお誕生日おめでとう!てあげた花を摘んだのがこの場所だった、て事ではvんで女王時代の婚約の折りにでもふとそんな昔話になって、花が咲いている所を見てみたいな、とかトンマンが言ってて、季節になったらお連れします、てピダムが言ったがその約束は叶わなかった。んでお墓をそこに、とトンマンが一人で後で決めたとか・・・アレ悲しい話に。

    うーんでもmukugeさんのお墓参り記事からすると、月城から割と距離あるんですけど、ボロピダムがそこまで遠出するのって不自然かなあ?というネックはありますねえ。て人様の会話から妄想ねつ造まで・・・!!
    りば | URL | 2012/07/24/Tue 00:55 [編集]
    りばさんへ
    深夜でも30度って(・∀・|||) さすが南は違いますね、大丈夫ですか~?
    と冒頭からコメント欄熟読友の会会員として、よそ様のところのコメント欄で仕入れた情報をかましてみましたw りばさん、こんばんはーv

    あぁ、ミシルの「美」と大元神統の「元」の方はそんな字をお持ちなので、月109万の生活費が必要とか、抱きしめられていないと眠れないとか、璽主様チックなそんなことおっしゃるんですね(゚▽^*)

    「ここまでついてまわったアタイの苦労を返しやがれキーーーック!!」なリスですが、たぶんvs私との対戦では、こうもりの羽をつけてモモンガにしちまうぞ!な殺気に負けたに違いありません。
    といいますか、リスはまだ小憎らしくもかわいいもんですが、そのベルサイユ宮殿の白鳥怖いですねー。ポーズ的には、ピダムが見て覚えちゃったムンノの秘儀なポーズでおっかけてくるってことですよね。こ、怖いです。

    そして、妄想部屋へようこそおいでくださいましたv

    > ピダムがお誕生日おめでとう!てあげた花を摘んだのがこの場所だった、て事ではvんで女王時代の婚約の折りにでもふとそんな昔話になって、花が咲いている所を見てみたいな、とかトンマンが言ってて、季節になったらお連れします、てピダムが言ったがその約束は叶わなかった。んでお墓をそこに、とトンマンが一人で後で決めたとか・・・アレ悲しい話に。

    2XXX年、慶尚北道慶州市普門洞山79-2にある善徳女王陵にて発掘調査が行われた。石棺は盗掘されず、女王は金冠、頚飾り、銙帯および腰佩などを身にまとい当時の姿そのままで残されていた。驚くべきは女王に寄り添うように男性のものと思われる遺骨が一緒に発見された点である。女王とこぶし二つほど身長が高いその遺骨の男性は、女王と同じ位の年齢の人物で、女王より3日先に死亡したことが科学鑑定の結果わかった・・・

    アレ、リレー妄想になってしまいましたw

    りばさん妄想でネックという部分ですが、得意の地図の徒歩機能で換算したところ、月城から善徳女王陵のふもとまで徒歩45分位。上までのぼっても合わせて1時間もかからないので、フットワークの軽いピダムならありですよ、あり。ボロ服時代ならフラっといなくなっても問題はないですし、てか常にフラフラしてそうだしw そもそもなんせあの海までストーキングのムンノの弟子ですもん、多少の距離は大丈夫ってことで。

    それよか己の妄想ですが、どう科学が進歩しようと1500年位前の遺骨から日単位の死亡時期がわかるわけ(略) それどころか、そもそも骨残ってないだろうしー、ネックだらけです(爆)

    トラバの件ですが、マイマイ様にいただいた何度か試すとか後日に再度試してみると届いたりするという情報にもとづき、ドアの鍵が開きそうな頃にまた日を改めて送信してみます。忘れた頃に申請が届いても、なんじゃこりゃと驚かないでください(笑) 押し倒されて最後までいきたいでーす。(さすがにカタカナ表記は避けてみました)
    打倒!ゲートキーパーちょむちま子!おーーっ!
    mukuge(むくげ) | URL | 2012/07/24/Tue 22:02 [編集]
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