ドラマ「善徳女王」のファンブログです

    いま陛下に会いにゆきますv ご対面編  【追記あり】
    善徳女王陵にたどり着きました。

    善徳女王陵 お顔側
    お墓なので、まずは拝礼です。といっても韓国式のはわからないっていうか、あのドラマとかでよくみるやつは難しくて(てか身体が固くて?w)できないので、そこは日本式に普通に手を合わせながらごあいさつを。
    陛下お初におめにかかります。私は倭の国からやってまいりましたmukugeというもので…うんぬんかんぬん。

    正面には祭壇のような石壇が置かれていました。「善徳女王追悼祝祭」なるものに行った方のブログの写真を拝見すると、この上にお供えものの果物なんかが載せられていました。

    善徳王 石標漢字
    陵のそばには2つ石標が並べられていますが、こちらは外側にある漢字で書かれている方のものです。「善徳王」と書いてありますが、字が摩耗していて薄くなっています。土台はわりあい新しめに見えますが。

    善徳王 石標ハングル
    こちらはちょっと内側にあり、ハングルで「史跡 第182番 新羅善徳女王陵」と書いてあります。これがいつ立てられたものかはわかりませんが(ハングル制定以後であることは間違いないw)、この石標ちょっと小首をかしげているような。

    善徳女王陵 案内板
    新羅 善徳女王陵 史跡182号
    この陵は新羅第27代王である善徳女王(在位632~647 金徳曼)が祀られた場所である。慶州市東南側にある狼山の南側稜線の中腹に位置している。全周74M、高さ6.8M、直径24Mになるこの陵の外形は土を丸く積みあげた形態をなし、下部には陵を保護するために2~3段からなる自然石の石築がある。善徳女王は新羅最初の女王で瞻星台や芬皇寺を創建し皇龍寺九層木塔を建立するなど新羅建築の金字塔をうち建てた。また、金春秋、金庾信といった人物を率いて三国統一の基礎を築いた。
    『三国遺事』には“私はこの日に死ぬので、その時は忉利天に葬るよう命じたが、郡臣たちはそれがどこかにあるのか分からず尋ねると、王は狼山の南側だと言った。その後王が亡くなると、郡臣たちは王を狼山の日のあたる場所に葬った。30年余りが過ぎた文武大王19(679)年、王の墓の麓に四天王寺を建設しはじめた。仏典には四天王天の上に忉利天があるとするため、その時に善徳女王の霊妙な神聖さが分かった”とある。

    善徳女王陵 石築
    これが下部にある、陵を保護するために2~3段からなる自然石の石築の部分です。この部分はたまたま大きな石がひとつですが、他の部分は2、3段石を積み上げています。

    この時代は石室墳の時代なので、恐らくこの善徳女王陵も石室墳だと思いますが、史書や言い伝えなどにより被葬者が断定されている王陵のせいか、発掘作業は行われていないようです。この中にもしかしたら金冠なんて陛下と共に眠っているのかもしれませんね。

    善徳女王陵 アップ
    表面のアップ。
    ヨウォン陛下の毛穴まで見えるほど(実際は毛穴レスのすべすべ肌)テレビに近づいて見てる私ですもの、つい寄りたくなっちゃいまして。
    「こらこら そんなに寄るでない」という陛下の声が聞こえてきそうですがw

    【2012.07.23.追記】写真をさらに拡大して見てみましたら、芝の中に紫の花を発見!茶色い何かが生えているなぁと思ってたんですが、まさかそれが咲き終わったお花だったとは。現地では肉眼で確認できす、写真を拡大してみても紫の花2コしかなく詳細は判別不能ですが、他の方のブログでスミレの花とありました。もうちょっと早い時期だったらもっとお花に覆われていたかな。かわいい~v
    善徳女王陵 お花

    そしてお約束の360度ぐるりと一周。正面より反時計回りに周ります。

    善徳女王陵 左腕側
    石壇のある方が顔だとしたら、こちらは左腕側。

    善徳女王陵 お尻側
    お尻側。(←背中側と言いなさいw)

    善徳女王陵 右腕側
    右腕側。

    こうして一周してみると、どこの部分に立っていても空が綺麗に見えます。確かに周りは木に囲まれて鬱蒼としていますが、陵のある中心部は上を覆うものがなく、太陽の光が燦々と当たります。夜になると星も綺麗に見えそうな場所です。陛下はここで眠りながら開陽星なんて見たりしてるのかしら?なんて思いましたが、いやいや開陽星のくだりはドラマのフィクションですし、史実上の善徳女王にはそんな星のエピソードなんてないのでしたw

    というわけで、☆ドラマ編へ続く☆
    まだまだしつこく続けます「善徳女王陵」。だって、The Great Queen Seondeok Tourなんですもん(笑)

    ※画像を選択いただくと拡大して見れるようになってます

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    掘りましょう!
    mukuge 様

    発掘していない古墳(盗掘は不可)なんてもったいないです!
    掘ってほしいです。

    韓国の皆さん、お墓は神聖ですが、1000年たては文化遺産です。
    日本では、1000年前の「〇〇コ」も、当時の食生活を知るために分析されているんです。
    金冠があるなら、世の皆さんに見せましょうね!

    と、人さまのブログで興奮してしまいました、すみません。
    でも、もし「善徳女王の生前の衣装」などあったら、
    是非見たいです。
    midorin | URL | 2012/07/19/Thu 20:33 [編集]
    midorin様へ
    金冠隊長midorin様(笑)、いらっしゃいませ~v
    新羅王京の跡なんかは今現在も発掘作業中らしいのですが、あまりにもたくさん遺跡がありすぎて、おそれ多いというのもあるでしょうが王陵まで手がまわらないんでしょうかね?
    もし石棺がそのまま残されていたのなら、首飾りや靴の位置から陛下の身長もわかるでしょうし、指輪があればサイズもわかりますよねー
    ・・・と、いまだに『善徳女王の真実』でのことを根に持っているようです、私w
    mukuge(むくげ) | URL | 2012/07/20/Fri 18:08 [編集]
    管理人のみ閲覧できます
    このコメントは管理人のみ閲覧できます
    | | 2012/07/21/Sat 01:49 [編集]
    げんさんへ
    げんさん、こんにちはvvv

    そうですねー、確かにドラマのイメージだと陛下のお墓には装飾品よりも書物とかの方が喜ばれそうですね。あの世へ行っても向学心を忘れないトンマンらしいというか(笑) 他にはソヨプ刀とか火珠とかも入れてあげたり。そして忘れてはいけないのがやはりあの、指輪ですよねぇ。本物の善徳女王のお墓には仏教に熱心だったということで、仏典とかが入ってたりして。

    瞻星台とか太宗武烈王陵では、おばちゃん達がたくさんいて、しゃがんで雑草抜きとかしてたんですよね。入場料を取っているところはそんな感じで手入れはしているのでしょうが、こちらはどうなんでしょう?何年か前までは荒れていたと聞きますが、草刈りしないと、ボーボーになっちゃいますし。かといって草刈るために、この上に乗っかってしまうのもいいのか?という感じなんですが・・・自動お掃除ロボットのような草刈機があったらいいですねー。ドラマ内の墓守アルチョン爺には、飛天之徒の剣流を生かして草刈りしてほしいです(爆)
    といいますか、げんさんにコメントいただいて改めてアップの画像をアップにしてみたら、ほとんど咲き終わってしまっていて気づきませんでしたが、紫の花を発見しました。もうちょっと前の季節だったら花に覆われていたんでしょうか?なんかかわいいですー、陛下の御陵。アルチョンの手植えだったらどうしましょ?w

    御陵のふもとの四天王寺が作られたのは文武王の時代ですが、善徳女王陵は646年頃造成されたと見たことあるような気がするのですが、出典が思い出せません(鶏頭ですみません(^^;) 慶州では6世紀前半頃までは積石木槨墳の築造がつづいていたってことなので、すでに7世紀中頃の陛下の時代には石室だったような気もしますがどうなんでしょうね。横穴式石室だと盗掘の可能性もあるんですが、生前に作っていて死後埋葬したなら石室墳なのかなぁと。
    今の技術だと墓を開かなくてもなんとかならないでしょうかね?衛星からも色々見れる時代ですし。巨大MRTやCTなんかを作ってお墓をそのままスキャンするとか(爆)←技術的にできても予算的にムリですよねw げんさんのおっしゃるように、発掘が始まった際にはまずユシンやチュンチュを人身御供にしましょうか。

    で、ですね・・・

    > あ、ついでにですが金冠隊長midorin様でも一つ思い出したんですが、天馬塚の金冠?って仰ってたのって、「ユーラシアの風新羅へ」という本にmukugeさんのお写真と同じように勾玉もなにもなしで微妙に曲がってる部分もあって載っていたんですが、それには新羅5-6世紀の金銅製冠で「伝」とあるんですが慶尚北道出土となってました。

    おおーーっ!やっぱり金銅冠でしたか!って、今更お前がそれを言うかー!?って皆さん思うと思うんですが…あきらかに展示してあった瑞凰塚の金冠とは扱いが違ったので?とは思ってたんです。でも私現地で金銅冠は金銅かっと思って(←金銅冠への失礼発言/汗)写真には撮らなかった…はずなんですよね。一応もしかしてと思って慶州博物館所蔵の金銅冠をネットや本で調べてみたんですが、その時は同じような写真のものが見つからなくって、やはり出の部分が4段なので天馬塚の金冠なのかな?う~んって感じで。
    今調べてみたら、たぶんげんさんのご覧になった本にあった金銅冠だと思われる画像がなぜか今更見つかりました!あー、出が4段になってて、曲がり具合といい似てます!今見つけた画像は欠けている部分があるのですが、それを補修して展示していたのかも?な感じです。
    うわーん、ありがとうございました。記事訂正いれます(^^;
    mukuge(むくげ) | URL | 2012/07/22/Sun 17:15 [編集]
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