ドラマ「善徳女王」のファンブログです

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    新羅最大の寺 皇龍寺 
    陛下に泣く泣く別れを告げて「善徳女王陵」をあとにし、次に目指すは「皇龍寺址」。
    ・・・なんですが、この時点で13時頃。太陽はてっぺんまでのぼっており、春といえども暑くて暑くて、水、水をくれ~状態なんですが、道中コンビニもなければ自動販売機もない。このままだだっぴろい何もない「皇龍寺址」へ行くのは丸腰でタクラマカン砂漠を横断するのと同じ位危険ということで、先に「慶州博物館」方面へ。そこまで行けば何かあるだろうと思ったんですが、駐車場にてワゴンだしてるおっちゃん発見。氷水に入れてキンキンに冷えたドリンク類を売っておりました。まさにそこは砂漠の中のオアシス。

    生き返ったところで、目的地「皇龍寺址」へ向かいます。
    今まではちゃんと国道に歩道があってそこを走っていたので危険もありませんでしたが、ここからは歩道も無い片側一車線の道でした。容赦なくトラックや大型バスなど走ってるので怖かったです(((゚Д゚)))
    そして3分ほど走ってたどり着いたのがココ。
    皇龍寺 入口
    「皇龍寺址」入口です。看板には“世界文化遺産”と書いてあります。
    ここ慶州には「仏国寺・石窟庵」と「慶州歴史地区」というふたつの世界文化遺産があります。ざっくり「慶州歴史地区」という名前で登録されたのは、慶州全体に遺跡が数多く残っておりありすぎて一つ一つを申請することが出来ず地域一帯でまとめて登録されたということで、「慶州歴史地区」は南山地区、月城地区、大陵苑地区、皇龍寺地区、明活山城地区の5地区に分けられており、この皇龍寺址は芬皇寺とともに、皇龍寺地区に区分されています。

    そういえば、「善徳女王公式ノベライゼーション」ではミシルの私邸は皇龍寺のあたりと書いてあったんですが、このあたりに大きな邸宅があって郎徒トンマンを軟禁したのね!とか妄想を膨らませつつ、中に進みます。

    皇龍寺 石碑

    皇龍寺は新羅最大の寺院であり、『三国史記』や『寺記』によると真興王14(553)年2月、王は担当の役所に命じて新しい宮殿を月城の東に建築しようとしたが、黄色い龍がその地に現れたので王はあらためて仏寺にすることにして名前を皇(黄)龍寺と名付け、真興王27(566)年2月に竣工したということです。
    しかし完全にその時にできあがったわけではなく、真興王35(574)年3月に本尊である丈六の仏像の鋳造を完成し、真平王6(584)年に金堂が、そして善徳王14(645)年に九重木塔が完成するまでには4代の王90余年の歳月がかかりました。
    その後景徳王13(754)年に大鐘を鋳成したり、度重なる雷火による被災と再建を繰り返したりしながら、高麗王朝1238年に蒙古の襲来にあって灰と帰するまで新羅最大の寺として存続したということです。

    その新羅最大の寺という規模をあらわすのが、国立慶州博物館にあった皇龍寺の模型です。
    皇龍寺 模型
    サイズ的には1/60スケールということです。って言われても大きさが伝わらないですよねー(笑)

    皇龍寺 伽藍配置図
    現地にあった伽藍配置図で、一塔三金堂式の伽藍配置だったようです。
    この図は最終的な配置で、善徳女王が木塔を建立した時にはまだ、経楼も鐘楼もありませんでした。

    模型の写真の左側の矢印のあたりが、模型のひとつ前の写真「皇龍寺」と書かれた石碑のあるあたりで、そこから矢印の方向へ進みます。道はちょうど金堂址と木塔址の間に続いています。

    皇龍寺 全景1
    ぽつぽつ見える石は回廊址の礎石です。写真を拡大すると奥に木塔址が、向かって右手には経楼址が見えます。

    皇龍寺 全景3
    進む道の左手側の西金堂址のあたりです。
    左奥の白い高層建物群が見える方面の前の森が、お隣の芬皇寺です。そのあたりまで皇龍寺の敷地は広がっています。
    全部を1枚の写真に収めきれなかったので広さがあまり伝わらないと思いますが、発掘された遺跡址から寺院の総面積は8,800坪に至るということで、東京ドームに換算すると0.6個分?・・・って広さを伝えたかったのにあまり広くない印象になっていまいました(爆)でも、ホントにとても広いんです。

    皇龍寺 金堂址
    とーってもわかり辛いと思いますが、金堂址を真正面の木塔址から眺めてみました。
    金堂の大きさは、東西55.3M×南北30.3Mで、伽藍の中では一番大きな建物になります。

    その金堂址の真ん中に、3つ大きな石が置いてあります。
    皇龍寺 丈六像台座
    これは本尊である丈六の仏像(釈迦三尊像)を安置した台座で、花崗岩の自然石の上面を平らにした後、丈六像の足をはめる穴をあけて固定していたということですが、丈六仏は釈迦の身長である4.85Mの高さがある仏像で、この台座の規模からも当時の仏像の大きさがよくわかります。

    ・・・というかすみませーん。これが仏像の台座だということは帰ってきてから知ったんです。知らずに疲れた母が腰かけて休憩を(汗)バチが当たりませんよーに。ま、人間の大きさとの比較でどれだけこの仏像が大きかったか伝われば幸いです。(←プラス思考すぎるw)

    『三国史記』にはこの丈六仏について、「真興王35(574)3月、皇龍寺の丈六の仏像の鋳造を完成し、銅の重さは三万五千七斤、金メッキの重さは一万百九十八分であった。真興王36(575)年春から夏にかけて日照りが続いた。皇龍寺の丈六の仏像が涙を流して踵まで達した。」と記述されています。
    また『三国遺事』には、「インドの阿育王が仏像建立を試みたがすべて失敗したので、銅や黄金、三尊の姿を描いた絵を船に載せ、縁のある国で仏像がつくられることを祈って海に浮かべた。この船が絲浦に来て停泊し、新羅ではその材料によって1回で仏像を完成させた。」ともあります。

    ん?この話どこかで聞いたような?
    59話にて、皇龍寺創建のエピソードと共に出てきましたね!

    屈阿火(クラファ)県の絲浦(サポ)の地方官から、“箱だけ積んだ船が屈阿火県に着いた”と上書がありました。
    ニセ阿育王の舟
    「チヌン大帝が黄龍寺を建立された時と同じですな」「これは慶事です」
    わざとらしく持ち上げる貴族たちでしたが、実はこれ、ミセン大先生お得意の計略で。

    ここからは、チュクパン、事情通の民の方、マンミョン夫人に説明してもらいましょう。
    チュクパン先生民のみなさんマンミョン先生
    つまり昔チヌン帝が宮殿をたてようとしたところ地面から黄色い龍が現れた
    それで宮殿ではなく寺を建てろという意味に解釈し建立されたのが黄龍寺だ
    当時新羅は仏教が公認されてわずか30年
    寺を建てるにも仏像を造るにも技術や見本、人手や鉄が足りない

    その時屈阿火(クラファ)県に船が到着したそうだ
    中は無人で箱と書簡がありそれは西天竺国の阿育王が800年前に送ったものだった
    もっと驚くことは箱の中には銅と黄金が山ほどあった
    そして仏像の見本図が入っていたそうだ
    阿育王は仏像を造らせたがどうしてもうまくいかずそれで海に流したとか

    船に載せて流したのですか?
    縁がある国に届けば見本どおりに丈六如来像が造られると思ったのね
    そして今 当時と同じく箱だけが港に?
    神国に大きな栄光が訪れる兆候でしょう

    そして箱が月城に届いたということで便殿会議が開かれ、箱と一緒に流れ着いた書簡が上大等ピダムに渡されます。
    西国呼世尊
    が、それには「西国呼世尊 神国呼帝尊」極楽浄土の仏の名を持つ者=毗曇が神国の王になるという意味の書状が。
    こうしてピダムの思いとは裏腹に、流れは反乱への道に向かって行ってしまうんですね。
    う、辛い…。

    なんか暗くなってしまいましたが、それを払拭すべく、陛下が関わった九重木塔へ続きます☆

    ※写真を選択いただくと拡大して見れるようになってます



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    広~い!
    mukuge 様

    いやいや、とても広いことがよくわかります。
    で、広さより驚いたのは、「人がいないこと」です。
    ひとりで旅していたら、怖いくらいですね(笑)。
    こんなじゃ、売店があるわけないですね~。正しいご判断でした(笑)。
    midorin | URL | 2012/08/09/Thu 20:39 [編集]
    midorin様へ
    midorin様、ふたたびこんにちはーv
    広いのが伝わって良かったです♪
    雁鴨池や瞻星台などの観光ガイドブックに必ず載っているところは、それこそ団体客もたくさんいてにぎわっていたんですが、ここは入場料をとって整備しているわけでもなく興味のない人にはただの野っぱら(笑)ですから、とても閑散としていました。
    でも得意の妄想力を働かせるには、それがちょうど良かったです。木塔側のバックには遠くに山があるだけなので、目をつぶると色々想像できて、鐘の音も聞こえてきそうでした~v
    mukuge(むくげ) | URL | 2012/08/10/Fri 12:58 [編集]
    お礼♪
    暑中お見舞い申し上げます、mukuge様

    ここのところ朝夕はいいけれどまだまだ昼間は35℃越えの暑さの中のうさこです。

    今回の記事もDVD を見直すきっかけになります。
    ありがとうございます(ぺこん)←きっかけがないと見直さない(爆)



    遅くなりましたが先日の ̄(=∵=) ̄祭りでは大変お世話になりました。

    あの一周年記念SS が書けたのはmukuge様のおかげです。

    あのシーンがどうしても書きたかったので、まさかピダムがおだんご頭から簪を抜いてピューン…なんてふうには書けないので(笑)

    これからもお知恵を拝借することがあるかとはおもいますがよろしくお願いいたします。
    ぺこりん…


    うさこ ̄(=∵=) ̄ | URL | 2012/08/10/Fri 20:44 [編集]
    うさこ様へ
    うさこ様、こんにちはーv
    コメントくださってるのに気付かないで(最近お知らせメールが来ないよぉ)、私も昨晩うさこ様のとこにいそいそ出掛けておりました。ニアミスすいませーん。でも同じ日にお互い行き来していたと思うと嬉しくてニマニマしちゃう私です(^∀^)>
    うさこ様のところにも書いたのですが、本に書いてあったことをそのまま、しかも、装飾鋲と書いてありますが装飾した鋲という一般名称かも?なんて超アバウトなことを言ったりもしたのに、うまーく話の流れを崩さず使ってくださってありがとうございました。
    私だと、ピダムはお団子頭からタケノコのような簪を取って投げた…とかコメディになってしまいそうです(爆)
    本日暑さがぶり返して蒸し蒸ししてうだっている私ですが、うさこ様のところの暑さに比べたら屁でもない(あら下品?)と思えましたのでがんばります。うさこ様もあと少しがんばってくださいね~
    私も知識がないので大したことはできませんが、これからもお互い刺激を与えあえたらうれしいで~す(/ω\*)照
    mukuge(むくげ) | URL | 2012/08/11/Sat 16:42 [編集]
    はじめまして 7月中旬に釜山に旅行に行くので慶州に行ったとき皇龍寺址か国立慶州博物館に行こうと思っているものです。
     参考にさせてもらっています。今梅雨時なので天気も気になっています。石窟庵と仏国寺含めて
     釜田駅から電車で行くか 老圃(ノポ)駅?からバスで行くか迷っています
     皇龍寺は法隆寺や飛鳥寺の原型とも言われていますし、もしかしたら製作者が奈良にやってきたのではと思っています。

     ただ当日 ザーザー降りの雨だったら釜山のみですけど。
    ピースケ | URL | 2013/06/27/Thu 02:01 [編集]
    ピースケ様へ
    ビースケさま、ようこそはじめましてv 管理人のmukuge(むくげ)と申します。
    コメントどうもありがとうございました。
    ビースケさまは来月釜山に行かれるんですね。いいですねー。計画を色々たてている今が一番楽しいのではないでしょうか。
    私は釜山には2度ほど足を踏み入れたことはあれど、どちらもすぐ移動してしまったので、半日くらいしか観光したことがないんです。今度ゆっくり滞在していろいろ周ってみたいです。行ってみて面白いところがあったら教えてください(笑)
    慶州へは電車で行くか、バスで行くか、KTX+バスも含めていろいろ交通手段はありますが一長一短で悩みますよね。慶州に行ってしまえば、仏国寺も博物館も皇龍寺(芬皇寺)も10番、11番の循環バスで全部回れるので楽なんですが。
    仏国寺と石窟庵は決定なんですね。この記事の慶州旅行の前に、この二箇所は先に訪れたことがあったんですが、どちらも山の中にあって私が行った時は霧がかかってて雰囲気があって良かったです。
    皇龍寺の塔を作るのに戦闘態勢にあった百済から技術者がやってきたくらいですから、日本へも技術者が渡った可能性は充分にあるでしょうね。
    どうか晴れまして、ビースケさまが慶州に行けますようにお祈りしております♪
    mukuge(むくげ) | URL | 2013/06/27/Thu 22:46 [編集]
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