ドラマ「善徳女王」のファンブログです

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    カエルの歌がー♪聞こえてくるよー♪ 興輪寺と霊廟寺
    〈2012年5月の慶州旅行の記事です〉

    太宗武烈王陵を出たのが16時半。自転車の返却期限が18時。1時間半あれどまだまだ周りたいところを残しているので、道を急ぎます。
    途中おもしろ街灯(過去記事「新羅愛あふるる」)やでかい酒令具(過去記事「勝手にさいころ祭り」)とたわむれつつ、30分後こちらにたどり着きました。

    興輪寺門
    興輪寺です。
    法興王が仏教を公認したのち真興王5(544)年に新羅に建てられた最初の寺院ですが、ドラマではこんな登場の仕方をしております。
    32話 興輪寺
    32話 比才のふたつめのお題、新羅のもつ3つの意味を調べるために、コチルブ公が国史編纂をしていた場として訪れた場所が興輪寺です。
    このドラマ内で出てきた本堂の現在の姿はこちらです。
    興輪寺大雄殿
    中国および朝鮮の禅宗系寺院での本堂を大雄殿と呼ぶそうですが、現在あるこちらの興輪寺は寺址に1980年代に建てられた物なので、ガラス戸があり近代的な作りになっています。

    興輪寺境内
    境内はこんな感じです。
    電柱・電線こそ新羅の時代にはもちろんありませんでしたが、遠くの山々と高い空、寺院をとりまくそんな風景は当時とさほど変わっていないものと思います。
    そして私が立っている後ろあたりに土壇が残されており、そこが古い寺院の塔の址だったかもしれないということで。

    興輪寺址看板
    これが土壇なんですが、なぜ引きで撮っていないのか…。興輪寺址の説明看板で後ろが見えませぬw ま、ただの土盛りに木や花が咲いていただけなんですけどね…!(開き直り)

    異次頓の碑
    境内には新羅の仏教を認めさせるために殉教した異次頓(イチャドン)の功績を讃えていると思われる碑がありました。思われる、というのは篆書体の文字が読めなかったのでレリーフからの推測です(爆)

    法興王が仏教の公認をした際寺院の造営をはじめましたが、仏教を認めない貴族の反対で暗礁に乗り上げました。王の近臣である異次頓は、その時に仏教を人々に認めさせるために「仏陀が神霊なるものでいらっしゃるならば、私の死後必ず奇跡が起こるだろう」と言って自ら志願して殉教した人です。その言葉通り、異次頓の首を切るや頭は飛んで行って慶州の金剛山の頂上に落ちて、首からは白い血が数十丈も噴き上がり、にわかに真っ暗になった天からは美しい花房が落ちてきて、大地が大きく揺れたという記述が残されています。
    その場面を彫刻で表現したものが、異次頓の首が飛んできたという慶州金剛山栢栗寺に伝来する「異次頓殉教碑」という石碑です。その石碑は現在は国立慶州博物館に展示されていますが、その石碑に掘られたレリーフのレプリカが現興輪寺にあるこの写真の石碑につけられています。
    彼の殉教によって新羅は仏教を正式に受容することができるようになり、そしてできあがったのがこの興輪寺であるので、ここにも彼を讃える石碑があるのだと思われます。

    異次頓殉教碑
    国立慶州博物館に展示されている「異次頓殉教碑」です。
    白い血が噴き出しているなまなましい様子と、空から降ってくるファンタジーなお花のミスマッチ風味が仏陀の神秘さをあらわしているといったところでしょうか。

    そして興輪寺関係の遺物が国立慶州博物館にもうひとつ。
    興輪寺石槽
    石槽です。石槽は、長方形や円形の石の内部を掘り込み、寺院などで使用する水を溜めておくための石造物です。水を溜め蓮華を植える容器に使われたとの説もありますが、その用途は正確にはわからないそうです。
    時代は統一新羅時代のもののようですが、石槽の上面に刻まれた銘文によると、本来は新羅最初の寺院と伝えられる興輪寺にあったものであり、朝鮮時代の仁祖16(1638)年、慶州府尹(現在の市長にあたる官)であった李必栄が慶州邑城内の琴鶴軒に移したとあります。
    石槽を見ると誰もが顔つけてぷはーーっとやってしまうであろう「郎徒トンマンごっこ」(爆)まさかこの後に訪れる予定の新羅ミレニアムパークにある本物のトンマンの石槽が工事のため見れないなんて事態が起こるとはこの時は思いもせずに無邪気に遊んでおりました。。。

    で、現興輪寺に戻りますが、敷地内に興輪寺址という史跡があるものの、実はもともとの興輪寺は別の場所にあったと考えるのが現在では一般的であるとのことで。
    近くにある慶州工業高校の構内排水路工事現場から「興輪寺」とみられる銘文を刻んだ新羅時代の瓦彫刻が発見されたことから、この場所が最初に建てられた興輪寺とみる説が有力だそうです。

    そして現興輪寺の場所はといいますと、ここで「霊廟寺」と刻み込まれた破片が収拾されたことがあり、善徳女王のときに創建された霊廟寺址とも考えられています。
    霊廟寺といえば、あれですよ、あれ!玉門池と女根谷の伝説の中の蛙が泣いた宮西の玉門池があるのが霊廟寺ですね。あと、志鬼の伝説で善徳女王が志鬼に会ってやってもいいよと言って行幸したのがこの霊廟寺だったような。

    興輪寺地図

    推測の枠を超えないのですが、この場所が陛下ゆかりの地かもしれないと思うとテンションもあがって、疲れもふっとぶ思いでした♪

    ※画像を選択いただくと拡大して見れるようになってます

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