ドラマ「善徳女王」のファンブログです

    「善徳女王」を勝手に地図にしてみよう 続・トンマン鶏林上陸
    しばらーく間があいてしまいましたが、前回はトンマンが海を渡って鶏林に着いた道のりを想像してみました。
    その時は隋側の出発港はわからないと言ったまま話を進めていたんですが、りばさんにコメント欄より「ケベク」に出てきた航路の話や、それをヒントに調べてくださった論文、そして円仁の『入唐求法巡礼行記』なる文献などたくさんヒントをいただきまして、また新たな想像をめぐらすことができました。
    りばさん!いつも助け舟ありがとうございます!

    それを総合すると、唐の時代には中国側の山東半島から北上し遼東半島を経由し東へ向かうルート、そして黄海をまっすぐ横断して朝鮮半島に渡るというふたつのルートがあったとヒントをもらいました。

    こんな役の立ち方をするとは思っていなかった(笑)まさかの「ケベク」、第35話。
    ケベク 赤山航路
    高句麗と軍事同盟を結んだ百済の将軍ケベクは、新羅と同盟を結んだ唐軍が攻めてくるであろうルートに関して高句麗のヨンゲソムンと話し合っています。
    山東半島の登州から北上し、遼東半島から南下するルート(赤い線)、山東半島の赤山浦から黄海をまっすぐ渡るルート(青い線)があり、まっすぐ横断するルートは赤山航路と呼んでいました。
    赤山航路はもとは百済が開拓し、党項城が占領されてからは新羅に奪われたとケベクが言っていました。
    ケベク 鵠島
    どっちのルートを通っても、鵠島(いまの仁川白翎島)を経由し、そこから上陸すれば高句麗を、南下すれば百済を攻めるとわかる、という内容の作戦会議でした。
    この二人の会議の内容はここでは関係ないのでおいておいて、気になるのは山東半島を出発しいまの仁川近くの島を経由して朝鮮半島西海岸に入るルートがあったという点です。

    トンマンが鶏林に向かったのはこれより50年程前国も隋の時代でしたが、同時に紹介くださった論文によると唐よりも前の時代からあった航路だということですし、100%このルートだとする決め手はないながらも、もしかしたらトンマンはこうして朝鮮半島に上陸したかもしれないなーなんていうイメージもできました。
    赤山航路
    赤山浦は、現在の中華人民共和国山東省威海市栄成市石島付近にあたります。

    そこでずっと頭にひっかかっていた、トンマンがチュクパンと出会った時に“2万里”遠くからやってきたという言葉を考えてみたいと思います。

    里は元々は古代中国の周代における長さの単位で当時は1里=約500mでしたが、その後時代により変動があったようで、このトンマンの時代は、『隋書』の高句麗、百済の記事にて朝鮮半島の東西幅が約1千里となっていることから、この時代は1里が300mと考えられるようです。1里=約300mとして2万里=6000km。

    それを頭にいれながら地図上でアバウトに計測してみました。
    トンマンの住んでいた砂漠の町と勝手に決めたチャルクリクから敦煌、西安に向かい、さらに宿のありそうな洛陽、鄭州、開封、済寧などの町を経由し、山東半島の赤山浦から海路を真東に海を進み、朝鮮半島の仁川あたりから万弩郡までの距離で約3600km…。うっ2万里には足りず。

    そこで、これもりばさんに教えて貰った円仁の『入唐求法巡礼行記』を読んでみました。時代はトンマンの時代より200年位あとの時代、僧円仁が遣唐使について唐へ渡り、経典などを持ち帰るまでの一大旅行記ですが、当時の旅の様子が生々しく記載されていて面白いですね。いわば今で言う旅ブログのはしりっていうか(笑)

    それによるとやはり昔の旅はとても大変で、船が定期的に出ているわけでもなく、長安から明州(今の寧波)に行ったものの出航する船が見つからず楚州などを経て山東半島の登州へ移動するなどスムーズに目的地へ向けた船に乗れるわけでもなく、また船に乗船できて出発を待っていても航海に良い追い風がなく15日も足止めをくらうなんてこともあったりしているんですよね。
    なので、2万里というのはとっても遠いところから来たということの比喩で使っているかもしれないですが、トンマンも最短距離で移動して目的の出発港へ向かったのではなく、円仁のように途中いろんなことがあって回り道をしたり、船を求めて港を転々と移動したりしての2万里なのかなとも思ったりします。

    2万里と言っていますがこれ、どうやって数えたのかなと思っていたんですが、これも円仁がこの本に書いていたのですが、唐では五里行くごとに一つの土堆(道標)を築き立て、十里ごとに二つの土堆を築き立てているということで。トンマンが旅した時代にもそれがあったかどうかはわかりませんが、もしあったとしたら賢いトンマンのことですから抜け目なくチェックしながら道を進んだような気がします。1万回数えながら岩を叩くユシンなみにきっかり数えていたんだろうとw

    面白かったのが、貸し驢馬なるものがあったようで。驢馬一頭の二十里を行く駄賃は五十文ということで、五十文の価値がどれくらいかはわからないんですけど、お金があればまあそれなりに楽な旅ができるというのは、今も昔も変わらないんですねー(←貧乏旅行常連者の自分w)
    トンマンなら路銀がもったいないと言って極力乗らずに歩いたんでしょうか。

    あと、旅先での宿の主人についても色々書いてありまして。
    主人は非常にていねいであった、主人は礼儀正しく昼食の菜も足りないということはなかったと書かれている宿主もいれば、主人は非常にけちん坊で一皿の菜をもらうのにも再三頼んでやっと、主人に菜・醤油・酢・塩を出してほしいと頼んだがどれもこれも出してもらえず仕方なくとうとう持参の茶一斤を出して醤油と野菜を買うことができたが、とても食べられるようなものではなかったと書かれている宿主もいたり。
    しまいには主人は極度にけちな人で一つまみの塩、一さじの醤油・酢さえ銭を支払わない限り出してくれないという、けち of the けちという書き方をされている宿主もw

    トンマンの旅を重ねて想像しながらこの円仁の旅行記を読んでいたんですが、こんな風にどけちな宿主とかとも色々かけひきをしながらトンマンもまたこのように旅をしたのかなぁなんていろいろ想像も膨らんだりして、楽しく読めました。
    トンマンって砂漠でソファと宿屋をしているときもたくさんの人と出会っていろいろな処世術を自然と身に着けたと思うんですが、鶏林への旅の途中でもまたたくさんの人と出会い、いい人であれ悪い人であれどんな人とのやりとりも無駄にせず人生の経験として吸収していったんだろうなーなんて思えました。


    関連記事

    コメントの投稿

     管理者にだけ表示を許可する

    ・・・感動した!
    mukugeさん、今晩は~v

    昨晩20時31分、こちらを訪問し、第一拍手村人したのは私です。←自慢 いっや~~面白いです。自分が貢献できたという事を別にしても、です。こういう、ドラマでは詳しく出てこない部分を色々に想像できるのがすっごく楽しいです!

    そして私めの そそのかし 置いてった素材が活かされ、おいしく味付けされ、見事な一皿の料理に仕上がった!と言う事で私も「感動した!」の声をあげずにいられません。そして突然ですがうちのブログ名は自分を船にたとえたものです。なので、そうか助け舟にもなれるのか・・・と感無量です(笑)

    それにしてもケベクを早送りでも視聴しといてよかったです・・・(しみじみ)アレを見てなけりゃ航路について調べてみたりしなかったと思うので。しかし、うっかりしてました。そうですよね、エンジンなんて積んでないんですから船も風まかせ、定期便なんてある訳ないんですよね!だからトンマンもとにかく三韓へ渡る船があればラッキー!とばかりにすぐ乗りこんだでしょうから、二つある航路のどっちか先に船が出た方、ですねきっと。

    さて「入唐求法巡礼行記」、実は私は本は未読でして。内容をざっとまとめたサイトをいくつか走り読みしたぐらいなんですが、mukugeさんのこの記事で読んでみたくなりましたね~。書いたのが僧侶ということで高尚な内容かと思ったら、割と生活に即した事も細々と記されているところに共感が湧きますw

    トンマンなら何せ旅館経営にまで参加してたくらいですから、円仁より更に如実に宿屋の経営ランクが分かったでしょうね。宿のランク付け覆面調査員をやってもらいたい位です。そしてやっぱり、トンマンの「ムンノをたずねて二万里」の旅記録が読みたい・・・!すごく面白そうです。

    ていうかピダムも諸国を師匠と一緒にまわっているので、話の種はいっぱい持ってる訳で、二人で旅先の話を・・・うーむ、王とその右腕時代だとどうしても政治的な話につながりそうですね。

    >>トンマン2万里水増し疑惑w

    どうも地図もネットも交通手段もあって当たり前の現代人は地図上で最短距離を描いてしまいますが、半年かけてたどり着いただけあって、途中でどこかにとどまって働いて路銀を稼いだり、効率悪い道を行かざるを得なかったりと、色々あったでしょうねえ。

    隠居生活があれば、その頃の事を記録に残してみるなんて事も、トンマンやってくれたかもしれないのに・・・ああイキイキと抜け目なく旅するトンマン、見てみたかったなー!と思うにつけ、それでもやっぱり、時にはソファの事を思い出して独り思いにふける日もあったのかなぁとも思います。

    色々と想像がめぐり広がる記事を読ませて頂きまして、めちゃめちゃ楽しかったです!有難うございましたmukugeさん!
    りば | URL | 2013/03/24/Sun 22:26 [編集]
    りばさんへ
    いただいたネタは惜しみなく奪い取ります、それが私の愛だから…。ってなわけでりばさん、こんばんはーv
    まっ、173度目の私のはじめてをりばさんが奪って行ったんですね。照れます。そしてふたたびもどってきてコメント残してくれるとは…「感動した!」w
    えぇえぇ、りばさんところは抱腹絶倒面白レビュー満載な豪華客船であったり、深い深いキャラ語りにて皆を善徳女王というジャグルに迷い込ませるジャングルクルーズ船であったり、一緒にクィコルイという疑問の波を漂流する漂流船であったり、はたまたヨウォンさんの素敵なお姿をご紹介くださる夢の笹舟だったりその時々で姿を変え航海をなさってますが、今回は黄海に浮輪を投げこむ救助船となってくださいました(笑)

    >トンマンの乗った航路

    よく奴婢の人が船の漕ぎ手に使われているドラマを見るので(それこそ海神とかw)そんなに風の重要性を考えてはいなかったんですが、そうなんですよね。エンジンじゃあるまいし、人力だけじゃ大海を渡るなんて至難のわざであって、風の影響は大きいっていうことはこの本を読んでてハッと気づきました。
    なのでおっしゃるとおりトンマンはここの港からと決めていたわけでもなく、二つある航路、さらに明州や杭州も含めて、新羅人コミュニティの中のクチコミがあったりして、船が出るらしいと情報を得て、先に出そうなほうに乗ったと私も思います。そしてせっかく赤山航路という名前を覚えたので、結果的にこのルートで来ていてくれたら万々歳です(笑)

    >「入唐求法巡礼行記」

    私ももっとお堅い内容かと思ったんですが、意外や意外求法の部分よりも旅先での食べ物の話が多いくらいで円仁さんに親近感をもちましたw なんとしても生きのびて経典類を持ち帰らねばという使命感ゆえ食事が大事なのはもちろんわかるのですが、けち主人とのやりとりに食べ物の恨みの恐ろさがひしひしと伝わってきまして(笑)
    正午に赤山浦を出向して、翌朝新羅の西南の山が見えてくるなど、旅にかかる日数などの感覚もつかめて面白いです。
    りばさんに教えてもらった本ですが、ぜひ機会があればオススメですw

    >宿のランク付け覆面調査員

    その名もトンマンラン。通常七つある★印のランク付けですが、六番目の★が二つに分かれて全部で八つ星になった宿屋が最上ランクとかになるんでしょうか?w
    あ、トンマンランって、トンマン郎みたいですね。郎徒トンマンも良かったですが、花郎トンマンもきっと素敵に違いない(笑)
    「ムンノをたずねて二万里」はムンノを探して二万里を旅してやっと会えたと思ったら、「私は公主様を認めません。」なんて言われちゃう涙なしでは見られないお話ですね。

    >トンマン2万里水増し疑惑ww

    円仁は外国人旅行者なので風当たりも強く、旅を続けるにも許可証が必要になったり、自力で船を調達してとっとと帰れと言われたり、また途中で仏教弾圧にあったりしてとても大変な思いをしているのですが、トンマンは船出するまでの旅路は一応自国の民なのでその点では円仁よりはもう少し自由に動けたのかなとは思います。
    それでも頭は大人、見た目は子どもなトンマンですから、対等に相手にしてもらえないこともあったかもしれませんし。いろいろな困難が想像させられます。
    そして円仁は途中不法滞在者になったので新羅の僧を装ったりしたんですが、言葉がおかしいのでそれもバレてしまいまして。でもトンマンなら語学堪能ですから、どうとでも化けられそうですね。いえ、だからトンマンは自国民なんだっていう話なんですがw

    ムンノとピダムの旅はまだトンマンの旅ほど想像が進んでいないんですが、それも色々つきつめていったら楽しそうですよね。将来王になるべく育てているわけですから、隋(唐)の都も見せているでしょうし。実は知らないでトンマンとすれ違っていたりしたら萌えますw
    いや~、想像って楽しいですね(笑)
    わからないところはわからないまま終わらせてしまうところだったんですが、また新しい可能性が開けて嬉しかったです。こちらこそ舵取りありがとうございました!
    mukuge(むくげ) | URL | 2013/03/25/Mon 22:28 [編集]
    拍手コメントを連打くださった(笑)げんさんへ
    げんさん、こんばんはーv
    ここしばらく月火のこの時間はパソコンの前にはりついていましたが、なんだかんだ言いつつ終わると寂しいものですね。←チニョンさんの出演シーン以外はメール打ちながらとか片手間に見ていた失礼なヤツなくせにw
    んで、実験失敗?ですか?やや、拍手の数は重複してカウントされないような設定をしているので増えませんが、うちにはちゃんと4連打でw拍手メッセージ届いてるんで、実験は成功してるんではと思うんですが。もしかして4通以上メッセージくださってたりしてましたかしら?
    字数を適当に区切ってみたというわりには、ちゃんと全部500字弱に綺麗に収まってるんで(素晴らしいw)、字数エラーにはなってないと思います。

    >「白村江の真実金春秋の策略」

    あ、この本、私の図書館にある次に読む本リストの中に入れていてまだ読めてない本です。面白いですか?これにも唐の航路が出てくるんですね。今借りているのを返したら次借りてみます。今調べ事があって、また公式ノベライズ借りてるものでw

    >ノベライズ
    >茶の交易を妨害する諸侯に対してのセリフで、カターンおじさんたちがタクラマカンまでの道のりの中で、突厥族との戦いなどを乗り越えて…

    ドラマ中でもカターンおじさん、「今回は蒙古に用事があって、敦煌のほうから来たんだ。」って言ってますし、天山北路または西域北道を通ってやってきたのかなと思うんです。どちらも当時の西突厥の領地を通るルートですから、突厥族との戦いなんていうのをくぐり抜けてやってきていてもおかしくはないかもしれないですね。

    >頭の中に星が入っているトンマン

    そうそう、そういえば自分は方向を見失わないって言ってましたっけね、トンマン。りばさんもおっしゃっていましたが、現代の私達は測量された地図を見ているので、大陸や半島の地形がどうゆう形をしていて、距離感はどのくらいかと相対的にみることができるためどうしても最短距離を狙ってしまいますが、トンマンはそれを知らないで旅をしているんですよね。たとえ星を見て方向がわかっていたとしても。
    げんさんのおっしゃるように治安の悪いところは避けたでしょうし、ヤンジ村のように疫病が発生したなんて村があったら迂回したりしたかもしれませんよね。

    >「里」の距離の話

    私も最初は、国によっても時代によっても1里の長さが違うということを知らなくて、日本の1里=約4kmで計算していたんですよ。でもそれだと足りないにもほどがあるっていうか、トンマン大風呂敷敷き過ぎ!wになってしまうんで、調べてみたらあらこの時代はもっと短いのね、と(笑)

    >トンマンとピダムで旅支度心得

    『三韓の歩き方』とか、『こち・る・ぶ』とかでしょうか。 ってコチルブさんは直接トンピとは関係ないですがw 発売されたら絶対買います。

    ひとりで妄想してニマニマしていたんですが、楽しかったと言ってもらえてとーっても嬉しいです!しかもげんさんの考えるトンマンの旅も聞けて私も楽しいです。ありがとうございました。
    そして月末は味噌まつりですね…フフフ。
    mukuge(むくげ) | URL | 2013/03/26/Tue 22:12 [編集]
    拍手コメントをくださった直様へ
    直さん、こんばんはーv
    面白いドラマ数あれど、これほどハマれるってドラマはないですよね!
    直さんが今ご覧になっているという「イルジメ」私も見ました。「善徳」ほどハマれるわけではないんですが、面白いし、いいドラマだなって思います。チュクパンが泣かせますし。(善徳に出た俳優さんは、いつまでたっても善徳の役名で呼んでしまいますね/笑)

    私も隣国の地名、ましてや現代ではなく古代の地名なので、ドラマを見ていても距離感がつかめなくて、もっとドラマを知りたくて調べはじめました。
    マンノ(万弩)郡に関しては、この地図カテゴリのひとつ前の記事『「善徳女王」を勝手に地図にしてみよう トンマン鶏林上陸』で少し取りあげてみました。調べてみたら、ドラマと同じく本当にユシンに関連のある土地だったので、とても感動したのを覚えてますw

    わっ、直さんも二次創作されていらっしゃるんですか?どうやったらお邪魔できるのかしら?今度ヒントでも耳打ちください、迷惑じゃなければ(笑)
    私なんぞ妄想好きなただのいち「善徳」そしてトン&ピファンであって、お役にたてるかどうかはわからないのですが、お手伝いできることがありましたらなんなりと。
    また私よりも私のリンク先の方達がこれまた素晴らしことを書いていらっしゃるので、そちらのほうに疑問を解決するヒントがあるかもしれませんので、あわせてどうぞ~
    mukuge(むくげ) | URL | 2013/03/27/Wed 19:09 [編集]
    mukugeさん、お久々ですこんにちはー!
    mukugeさん、こんにちは!こうしてコメントするのがお久し振りなので、妙にムネがドキドキドキドキして手に持ってる花が震えます…!ドゾ-(;゜△゜)っ[折ってきた桜の花]

    mukugeさんのこの地図シリーズ、私も大好きです!v(*´∀`*)v
    前に更新された時もホントに面白くて興味深くて、私もマネをしてあれこれ調べてみたのですが、「これはもうmukugeさんは知ってるわ」なことばっかりだったのですがw、今回、初めて「お役に立てるかも!」と言う地図ネタが見つかったので、ブログで更新してみました。チャルクリクを出発した後の、マンノ郡への具体的な道程を考えてみたものです。
    残念ながらケベクは思いっきり脱落したので(ちょ)、ケベクでのルートとはちょっと違うんですが、私の方は、図書館にあった『韓国歴史地図』と言う本を参考にしてみましたv

    その本だと、長安・洛陽からは運河で上海の近くまで出て、中国東部の海岸線沿いを北上して、山東半島の登州から朝鮮半島(高句麗の卑沙城)へ。朝鮮半島についたら、また海岸線沿いを南下して、党項城で上陸、と言うルートが、シルクロードが廃れた後の隋~唐時代にあったようなんです。
    しかも!そのルートだと、チャルクリクから上海までで約3900キロ、上海から登州まで海路で行くと1300~1400キロ、登州から卑沙城まで約100キロ、そこから党項城まで海岸沿いに進むと約600キロ……と言うわけで、合計すると、大体2万里(6000キロ)になるんですよー!(*´∀`*)ノイエーイ!

    これだと、トンマンの水増し疑惑も一応解消されますしw、当時の交易路にも用いられていたようなので、トンマンならきっと、円仁のようにイヤミな宿主に出会いつつも、宿主を逆にやり込めて(爆)、あれこれ頑張って商人達と取り引きしながら新羅まで行けるんじゃないかなーと思いましてv

    それにしても、円仁さんの記録は、トンマンに当てはめると「風が駄目な日には……宿屋では……道行く詐欺とか…」とイロイロ妄想が膨らみますね(笑) 私はちゃんと読んだことがないので、mukugeさんの紹介されている部分を見てめっちゃウケましたw
    でも、もしトンマンとピダムが一緒だったら、何にも負けないで『こち・る・ぶ』を作れちゃうんだろうなとか(えw)、と言うかよくムンノはあの性格であちこち旅出来たよなー(案外社会性豊かなんでしょうか)とか、このコメント欄もすっごく楽しかったです!
    mukugeさん、素敵な記事をありがとうございます~!そして、私の記事がmukugeさんの地図作りのお役に立ててますように…!
    緋翠 | URL | 2013/03/30/Sat 17:26 [編集]
    緋翠さんへ
    緋翠さん、いらっしゃいませこんばんはーv 
    こちらではまだまだ咲くのが先になりそうな桜の枝を手折り、春とともに遊びにきてくださってありがとうございまーす。桜の花⊂(゜∀゜ )
    あら、手が震えているとな。針を打ちましょうか。ムンノコスがいいですか?それともヨウォンさん仕様の医女コスのほうがお好きでしょうか?うふ。

    って、お返事遅くなってすみません。緋翠さんのところの記事が面白くて、何度も読み返してしまいました。
    緋翠さんところにお邪魔してコメントさせてもらったこととかぶっちゃうんですが、いや~素晴らしい!
    合計すると大体二万里ってのがなんともスキっと爽快ですねー。トンマン2万里水増し疑惑、緋翠さんの弁護によりトンマンの容疑も晴れたという感じですね(笑)

    地図シリーズ、好きって言っていただけて嬉しいです。最初の記事のときにも緋翠さんからコメントいただいたんでしたっけね。
    このシリーズはりばさんをはじめみなさんの協力とともに成り立っているので、緋翠さんの新しい考えも聞けてまた一段とテンションあがりましたし、妄想が膨らみますねー。
    自分ひとりで考えていると固定観念に邪魔されてしまうことがあるんですが、こうして他の方の話をきくと、あっそうか~ってなります。
    『韓国歴史地図』もせっかく素晴らしい交易路が載っていたのに、これはもっとあとの時代のものだからと当初気にしてなかったんです。そこが私のつめの甘いところですね(笑)
    そして円仁さんの旅行記を読んだときに存在を思い出すべきでしたが、すっかり忘れていたっていう。円仁さんが陸路を遠回りしたように、海路を遠回りするってこともあり得るんですよね。なるほどー、と思いました。

    緋翠さんご提案の航路だと、高句麗の卑沙城も経由しているんですよね。風待ちのほかでも、船員さんの休息や荷の積み込みなどで、少なくとも1日は寄港してるでしょうし、トンマンも高句麗の地に足をつけていたかもしれないんですねー。首都ではないとはいえ、他国の様子などを垣間見た経験は、女王時代の治世にとても役立ったでしょうね。

    ムンノはなんだかんだいって花郎や武人に限らず、商人にもネットワークがありますし、人つきあいは上手な部類に入っているのかもしれませんね。
    よく考えたらムンノってソファに、船を用意したから杭州へ向かえと言っていますし、あと逃亡中のトンマンとユシンに、師匠に言えば船を用意してもらえるとピダムは言ってるんですよね。円仁さんが船の手配を苦労していたのを読むにつれ、船をやすやす手配できるムンノってやっぱすげー!って思いましたw 円仁さんも船の手配は新羅人に頼っていましたが、各交易場などの新羅人コミュニティに顔がきくというのはさすが国仙で。

    いろいろとってもためになる助言をくださり、またコメント欄まで楽しんでくださる緋翠さんに、お礼として、新しく発売になるトンピプロデュースの旅本を進呈いたします。どうぞお納めください。つ「コドりっぷ」←旅の本のはずなのに、ふたを開けてみたら食べ物屋の記事しかないのが困りもんですw

    すごい役立ちました。ありがとうございます!またトンマンの道のり地図を作ってみたいと思いますv 
    mukuge(むくげ) | URL | 2013/04/01/Mon 23:53 [編集]
    トラックバック
    トラックバック URL

    Copyright © こうもりのサンガラクチ. all rights reserved.