ドラマ「善徳女王」のファンブログです

    符仁寺~善徳女王崇慕齋 その4
    「三光楼」の展示物の中で、善徳女王の功績について紹介しているボードがありました。
    善徳女王の遺されているエピソードを、寛・仁・明・敏 と4つのテーマに分類し、そこからうかがえる善徳女王のひととなりを説明しています。
    ハングルで書かれていてその場では私のレベルでは読めなかったのですが、『善徳女王崇慕齋』という行事が行われている善徳女王が現代の人々に実際にどのような捉え方をされているのか知りたくて、がんばって辞書使って訳してみました。よく知られているエピソードもたくさんありましたが、訳があやしくてもだいたいの雰囲気ということで許してくださいね(笑)

    ● 寛 ~寛大な心と 温かい人間愛を 持った王~
    寛

    キム・ユシンの妹ムニがキム・チュンチュと親しくなり妊娠し、キム・ユシンが妹を燃やして殺そうとしたことが国に噂が広まった。
    そして善徳女王が南山に行幸する日を推し量って庭に薪の山を積んで火をつけて煙を起こした。王は煙が立ち上がることを見て何事かと聞いた。事情を聞いた女王はキム・チュンチュの顔色が青くなったのを見てすぐ駆けつけ、事態を収拾するようにした。
    女王の寛容さがムニの命を救い後日王妃の座に上ることになったが、たとえ女であろうと男より大胆さと寛容さを持った女王の面貌を示す逸話だ。

    志鬼説話では善徳女王の温かい人間愛と真実性を垣間見ることができる。
    活利駅の人であった。彼は行幸する善徳女王を偶然見て敬慕するようになったが、遂げることのできない愛に対する絶望と恋しさで憔悴しきっていった。ある日女王は志鬼の話を聞いて、これをかわいそうに思い、後日自らに謁見できる機会を与えると伝えた。
    ゆえに志鬼は大いに喜び幾日待った後に女王の行幸を待ったが、つい女王が過ぎる時間に眠ってしまった。女王は深い眠りに落ちた志鬼を見て腕輪をはずし胸に置いて宮に帰っていった。下賎な身分の志鬼だったが、王は礼と誠意を尽くして自身の心を表現した。
    この話は徹底した身分制社会であるが、これに意に介しない飾り気の無い温かい人間愛を持った善徳女王の人柄を間接的に見せてくれる。

    ● 仁 ~民達の疲れた人生を 理解していたわった 徳のある王~
    仁

    徳と智を兼備した善徳女王は、法興王、真興王、真平王の領土拡張中心の統治の方法とは違って、国と民の平安を国家の最優先課題に置いた。国家の外形的拡張よりは民が良く暮らす国にもっと関心を置いたものだ。
    善徳女王は即位したその年に地方特使を送って男やもめ、未亡人、父母がいない子供、子息のいない老人のような一人暮らしで大変な人々に穀物を分け、救恤した。翌年正月には大赦免を下して社会の統合を図っており各城邑の税金と夫役を1年間免除して民の心を慰め労を労うことを助けた。

    有名な瞻星台は善徳女王の科学に対する関心と民に対する愛をうかがうことができる代表的作品だ。瞻星台の活用目的に対しては多様な意見があり、天文学あるいは易学研究をするためのものという主張が優勢だ。星を通じて気象を観測し自然災害を予測する行為は、農耕社会に民達が最も大きな苦情である自然災害を予防することにより、彼らが経験する一番大きな苦しい心の内を減らそうとする意図だった。

    ● 明 ~未来を予見する明晰な知恵がある王~
    明

    知機三事  善徳女王が予め言い当てる三つの話はあまりにも有名だ。その内容を見ると次のようになる。

    #1 牡丹の花に香りが無いことを話した
    唐の太宗が赤色、紫色、白色三つ描いた牡丹の絵と種を送って寄越し、絵を見た善徳女王は“この花はきっと香りが無いであろう”と言った。なるほど花が咲いた時にも香りが無かった。本当に牡丹は香りが無い花なのか?もちろんそうでは無い。ただ女王は花の絵に蝶が無く、そのように言うことで唐の太宗が配偶者が無い自分を冷やかしたとことを見抜いたことだ。もしかしたら蜂と蝶がむやみに群がれないほど女王は余りにもかぐわしい存在であったのではないだろうか。

    #2 百済兵士の侵入を予見した
    霊廟寺にある池で真冬にカエル達が集まって3、4日の間泣きたて、王が角干アルチョンとピルタンに命令を出し、兵士を率いて女根谷に行って隠れていた敵兵を撃った。なるほど王の言うように百済の兵士が潜んでいて、皆撃って殺したという。
    これは霊廟寺の蓮池である玉門池の色と怒ったカエル達の顔が比喩するところを呪術的に解釈して、女の体に似る地形である女根谷に敵軍が隠れていることを見抜いたのだ。

    #3 自分が死ぬ日を予め言い当てた
    善徳は自身が死ぬ日を正確に話して、臣下達に自身を忉利天に葬るよう言った。臣下達がそこがどこか尋ねると南山の南の方角と言った。忉利天は仏教で言うところの天上世界で四天王天の上にあるところだ。もちろん臣下達は訳もわからないまま、王が死んだ後南山の南側に葬った。それで文武王時代三国統一を念願する王の墓の下に四天王寺を立ててようやく王の予言が実現されたので、皆善徳女王の神霊らしさと神聖さに感心したという。

    ●敏 ~リーダーシップと統治力で輝いた王~
    敏

    善徳女王の在位当時最も大きな任務は、百済と高句麗の攻撃から国を守ることだった。王は兵乱の時期を人材登用と外交術で乗り越えた。最高の人材を発掘し適切な職を配置することをもって女王の限界を克服した。王は全面的な自律と重大な責任を与えた臣下をして任務を完遂するようにして、臣下が危険に陥った時最後まで救うよう命じて、王に対する忠誠を導き出した。キム・チュンチュとキム・ユシンは善徳女王の卓越した人材登用を見せてくれる事例だ。このような人材活用によって女王は新羅三国統一の基礎を作った
     
    初めて唐の国子監に王族の子弟達を留学生として派遣したことも、善徳女王時代のことだ。また王は自身が不足した部分に対して、周辺の人たちの助言を聞くのをためらわなかった。文と武を兼備した優秀な人材を発掘して国政の運営に参加するようにして、仏法に優れた法師の建議を積極的に受容したりもした。
     
    善徳女王は外交の重要性に対してもかつて理解していた。唐に使臣を送って持続的な関係を結び、危機の瞬間に派兵を要請した。唐太宗は新羅の支援要請に ‘女王が在位している隣の国は無視する’という言うほど、善徳女王を信じなかった。だが、善徳女王は持続的な説得と懐柔を通じて唐との連合を導き出して、新羅の側で三国関係を取り結んだ。
     
    それでも善徳は女王になって3年で仁平という独自的年号を発表した時、中国を伴わない独自的年号を用いたことはそれくらい自主的に独立的な国家運営の意志を盛り込んだとすることができる。


    以上です。善徳女王がどれだけ優れた女王であったか、そして人々に愛されているかが伝わってきます。
    さて私たちが大好きなドラマ版「善徳女王」ですが、領土拡大よりも民の安寧に関心をおいたこと、瞻星台を建設して自然災害を予防し民の苦労を減らしたこと、卓越した人材登用によって三国統一の礎を築いたこと、独立的な国家運営の意志を盛り込んだことはドラマ内にも出てきていました。
    他のエピソードは直接的にドラマ内には出てきませんでしたが、仁のエピソードの「たとえ女であろうと男より大胆さと寛容さを持った」と読み取れる部分や「飾り気の無い温かい人間愛を持った」と読み取れる部分は、別の形ではありましたがドラマ内のトンマンのキャラクターを形成する要素として出てきていました。
    本物の陛下とヨウォン陛下、どっちもやっぱり大好きですv

    *その5へつづく*
    関連記事

    コメントの投稿

     管理者にだけ表示を許可する

    トラックバック
    トラックバック URL

    Copyright © こうもりのサンガラクチ. all rights reserved.