ドラマ「善徳女王」のファンブログです

    善徳女王崇慕祭 ~『善徳女王の真実』からふくらむ妄想~ 
    まだまだしつこく『善徳女王の真実』ネタひっぱりますw
    でも、今回は‘もんく’ではなく‘もうそう’のお話です。

    今回この著書を読んで私が新たに知った事として、大邱の符仁寺(夫人寺)にて善徳女王を偲ぶ「善徳女王崇慕祭」が今も毎年行われているということがあります。それが行われているのは旧暦の3月15日ということで、今年でいうと4月5日らしいので、まさに今日ですね!って旧暦カレンダーなるもので調べてみたものの合っているんだろうか?まぁ違っててもご愛敬ってことでw

    この著書の中で著者は毗曇の乱について、善徳女王が金庾信・金春秋らによって女王位を廃された可能性があると主張していました。そしてそれに加えてこの祭の存在を知って、昔私が読んだ本の内容を思い出して、鳥肌がたちました。

    その昔読んだ本というのが、この本です。
    逆説の日本史 古代怨霊編
    逆説の日本史〈2〉古代怨霊編 ←本の説明はこちらから(別窓で開きます)

    以下は『善徳女王』と『逆説の日本史』という2つの本から私が勝手にふくらませた妄想ですので、閲覧にご注意ください!!

    まずはじめに、この『善徳女王の真実』で著者のキム・ヨンヒ女史は、毗曇の乱は金庾信と金春秋の策謀によるものとしています。そして『三国史記』『三国遺事』『花郎世紀』等の記述を照らし合わせたとして持論をまとめています。

    著者の主張をまとめると、以下のような物語になるのでしょうか。

    新羅は百済の執拗な侵攻で大きな打撃を受けていたため、金春秋が高句麗へ行き援軍を要請したが失敗に終わり、その外交上の失敗、そして娘婿の大耶城陥落は金春秋の立場を悪くし貴族勢力に非難を浴びることとなった。善徳女王までもが金庾信や金春秋を差し置き、唐より徳望の高い慈蔵を呼び戻し大国統とした。
    645年11月に善徳女王は伊飡毗曇を上大等にした。そのような中善徳女王の病状がひどく悪化し病臥に伏したことから、大臣の間で次期王位継承者についての紛々たる議論が行われた。
    647年1月7日、上大等毗曇が「女性は政治力がない」という大義名分で謀反を起こした。金庾信はすばやく月城を掌握し、毗曇は廉宗とともに明活山城に陣取った。善徳女王は乱が起きた初日、あるいは二日目に逝去したとされたが、その理由は何故かどこにも記述が無い。善徳女王逝去後は、同じくどのような順序で何故王位についたのか歴史書には記述が残されてはいないが真徳女王が月城に鎮座し、その10日後647年1月17日毗曇とその九族が処刑され乱が平定する。
    だが実は毗曇と廉宗は国や王を裏切り乱を起こしたのではなく、彼らが主張した「女主不能善理」の女主は善徳女王のことではなく、金庾信と金春秋が病臥に伏せる善徳女王を廃して新しい王に奉載しようとした真徳女王のことを言っていたのである。
    事前に計画されたことゆえに唐の太宗はすぐに新羅に特使を送り、前王(善徳)を追贈するとともに、異例の早さで新王(真徳)を鶏林楽浪郡王に奉じた。そして新羅の制度と文物のすべては唐に倣って改変された。
    善徳女王逝去後は最側近であった龍春(内省私臣)と廉長(財務長官)、慈蔵(大国統)いずれも女王逝去間もない時期に死を迎えているか失脚した。一方金庾信に軍事力を提供した風月主の天光公はその後護城将軍となった。真徳女王になって閼川が上大等になったがその後金庾信の威厳に押され、金庾信と金春秋が政治のすべてを意のままにしていた。

    to be continue...

    著者の主張を物語と表現してまとめたのは、りばさんや他の皆さんがおっしゃっているように、どこまでが歴史書等の引用なのか、どこまでが著者の説なのかわかりづらかったので、ではいっそのこと物語としてひとくくりにしてしまおうという便宜上のものです。二次創作を書かれる方でしたらもっとドラマチックな内容になるのでしょうが、私なので物語といってもあらすじ程度ですが(笑)

    そしてこの物語にはまだ続きがあります。

    北宋の司馬光の著した『資治通鑑』は毗曇の乱の4年後である651年2月に善徳女王が崩御したと伝えている。つまり、善徳女王は反乱がおきた年に死んだのではなく、どこかで数年間幽閉されてから亡くなった可能性が高い。そして善徳女王を祀っている崇慕祭が崩御した約1400年あまり前からずっと現在も続いている大邱・八公山の符仁寺(夫人寺)こそが、女王が晩年幽閉された場所であるのだろう。

    そして冒頭部分に戻りますが、‘謀反’‘幽閉’‘祀る’のキーワードを見た時に、昔読んだ井沢元彦氏の『逆説の日本史』を思い出して、鳥肌がたったんです。

    『逆説の日本史 古代怨霊編』の中で著者の井沢元彦氏は、若くして死んだもしくは暗殺される、幽閉された後に死んだなど無念の残るような死に方をした場合、または子孫が絶えてしまった場合、怨霊化して祟ると恐れられ、そのため怨霊化しないように魂を鎮めるために祀って崇めたと持論を述べています。

    もし『善徳女王の真実』で書かれているような物語が実際に起こったものだとしたら。自ら用いた金庾信や甥の金春秋に廃位され、自分が上大等に任命した毗曇を謀反人にしたてあげられ、側近の龍春、慈蔵らを排除され、そしてここは想像の枠を越えれませんが子どもがいたとしても抹殺されたりまたは後継者として排除されていたとしたら…。そのような晩年を幽閉という形で終えたのならさぞかしとても無念だっただろうと思います。
    我らの陛下が怨霊となるなんてありえない!とも思いますが、なるならないの話ではなく、そうなっても仕方ないほど気の毒だと人々に思われることこそが重要なのではないかと思うのです。

    在位中は民に豊かで平安な暮らしをもたらす政治を行い、民衆による蜂起はまったくなく、逆に美しい説話が多数伝えられていることから民に慕われていたとされる善徳女王。慕うという気持ちに加えて、気の毒な最期であった善徳女王に対する同情の念からの鎮魂祭、“善徳女王崇慕祭”はそのようにも受け止められました。

    ちなみにこれは本当にただの偶然なんですが、『逆説の日本史』のなかで、聖徳太子が怨霊化するのを封じるために、‘徳’の字のつく諡号をつけたという話がありました。孝徳天皇、称徳天皇、崇徳天皇、安徳天皇などもしかり。
    偶然にも善徳女王にも‘徳’の字がついています。とはいっても善徳女王は本当に徳のある政治を行っているので、魂を鎮めるためにわざわざ徳の字を与えたとは言い難いですし、そもそもお国の違いもありますし、そもそも怨霊封じに‘徳’の字を与えたというのは井沢氏が唱える説のひとつでしかないので、ここではただの偶然話ということで。

    ちなみにキム・ヨンヒ女史はこの『善徳女王の真実』の中で、善徳女王が忉利天の天神たろうとしたことを述べ、日食のために卑弥呼が殺害されたかもしれないという井沢元彦氏の『逆説の日本史 古代黎明編』の説を紹介しています。
    著書の中で善徳女王について「民が自らの手で祠堂を建て敬い慕った王」「彼女の運命を痛ましく思いつつ、極楽往生を祈る気持ちが千年以上もの間、民をして祭祀をあげさせているのだろう。」という記述もしているので、もしかしたら『逆説の日本史』の怨霊信仰に対する部分も読んでいるのかな、と。それでしたら私がこの著書を読んで『逆説の日本史』を思い出したのは当たり前だよなーなんて思いましたが、実のところはどうかはわかりません。

    そうそう、以前私が書いた陛下の命日の記事で、陛下の廟はなかったのかな?なんてつぶやきましたが、どうやらこの符仁寺の境内に善徳女王を奉る「善徳廟」という祠堂があるそうです。中に陛下の肖像画があるかどうかまではわかりませんが。
    今日は遠い遠い大邱にある陛下の廟に向かって手を合わせたい気持ちでいっぱいです。。。って本当に今日が祭りなんだろうか?(爆) 

    【2012.04.06.追記】
    りばさんが寄せてくださった情報によると(Thank you です♪)、4月5日で間違いはなかったようです。ただ、11時ってことで、私が手を合わせた頃にはすでに終わっていた、っていうwww
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    拍手コメントをくださったテヤン様へ
    テヤン様、こんばんはーv
    実のところ、キム・ヨンヒ女史の説が成り立たないと私の妄想も本当にただの戯言になってしまうんですが、妄想は自由ですよね?(爆)
    ユシンとチュンチュについては、私自身はたとえ本当に陛下が幽閉されたとしてそれがユシンとチュンチュの策略であっても、彼らには彼らなりの正義があったと思いたいんですよね。実際に三国統一という歴史的偉業を成し遂げているわけですし。
    トンピのイチャイチャは私も大好物なので、楽しみにしていますねー♪
    mukuge(むくげ) | URL | 2012/04/08/Sun 22:34 [編集]
    mukugeさん、こんばんはーvv
    私にとっても懐かしい本の名前が出て、思わず食いついてしまいました。
    逆説の日本史、図書館に並んでいたので思わず手に取り、一気読みした覚えがあります。歴史は好きなので、それまでも何かと本は読んでいましたが、このシリーズを読んで、「歴史と言っても、人間のやることなんだよな」と、はたと気付かされた記憶が…。
    怨霊信仰の行も勉強になりましたし、ある程度日本史の知識のある人なら、一度は読んで損はない気がしますvv(高いので、図書館のほうがいいかもしれませんが、実は文庫本で何冊か持ってたりする緋翠ですw)

    『善徳女王の真実』が手元にないので、筆者の主張も詳しくは覚えていないのですが、穴が多いですよね、やっぱり^^; でも、この本のおかげで改めてピダムの乱について考えるようになり、トンマンの時代の政治状況についても考えるようになったので、感謝もしていますv
    そして、0時にピダムの乱について語った記事を更新予定でして…。私はそこで、「ピダムの乱の黒幕がチュンチュとユシンと言うのは考えられない」と、この本に真っ向から対立しちゃっています(爆)
    なんと言うか、wikiもこの本もそうなんですが、「チュンチュ&ユシンを英雄視し過ぎじゃね? なんでもかんでもこの二人が仕切ってたとか、有り得んだろー」と言うスタンスで、『史記』と『日本書紀』と『花郎世紀』とをつき合わせてみました。(トンマンのこととなると、どこまでも探究心が膨らむ自分が怖いですw)

    最後に。
    『徳』の字なのですが、新羅の王で『徳』の字が使われている人を見ると、「本来なら王位に就くべき生まれではなかった」と言う共通点があるように見えました。次男だったり、王の子ではなかったり、あるいはトンマンのように初の女王だったり、スンマンのように先代の従姉妹(婚姻関係無し)と言う特殊な即位だったり…。
    もしかしたら、「本来得るはずのなかった王位を得た人物」だから、「徳があったのだ」と言うことで、「徳」の字がついたのかもしれませんねー(・∀・)
    緋翠 | URL | 2012/04/09/Mon 23:47 [編集]
    緋翠さんへ
    緋翠さん、こんばんはーv

    > 私にとっても懐かしい本の名前が出て、思わず食いついてしまいました。

    「善徳女王」好きの方は日本史好きの方も多いですよね。なので、たぶん読んだことある方がたくさんいると思ったので、逆に私の妄想のためにこの本を引き合いに出すのが怖い気がして迷ったんですが、思い切って出してみましたが…わーい、緋翠さんが釣れましたv

    > 逆説の日本史、図書館に並んでいたので思わず手に取り、一気読みした覚えがあります。歴史は好きなので、それまでも何かと本は読んでいましたが、このシリーズを読んで、「歴史と言っても、人間のやることなんだよな」と、はたと気付かされた記憶が…。

    私もそうです。井沢氏の批判する史書第一主義の歴史を学校で学んでいたので、こういう発想もあるのかと当時の私にとっては衝撃的だったんですよね。

    > 怨霊信仰の行も勉強になりましたし、ある程度日本史の知識のある人なら、一度は読んで損はない気がしますvv(高いので、図書館のほうがいいかもしれませんが、実は文庫本で何冊か持ってたりする緋翠ですw)

    私も文庫本組です(^^) 井沢氏の本はこの著書の前から好きで良く読んでいたのですが、このシリーズは最初ハードカバーしか出版されてなかったので購入を迷っていたんですが、待ちに待った文庫本が出た時即効食いついたという遠き日の思い出があります(笑)
    『善徳女王の真実』を読んだ時すぐに『逆説の日本史』を思い出して、でも記憶違いだったら大変なので、押入れに眠ってた文庫本を発掘して一気に読み直してみたんです。旅に持って行ったんですが、この本に集中したおかげで往復24時間のフライトがあっという間でしたw

    > 『善徳女王の真実』が手元にないので、筆者の主張も詳しくは覚えていないのですが、穴が多いですよね、やっぱり^^; でも、この本のおかげで改めてピダムの乱について考えるようになり、トンマンの時代の政治状況についても考えるようになったので、感謝もしていますv

    今回著書の主張をまとめる際にはその意図を曲げてはいけないので、できるかぎり著書の記述をそのまま引用して私の言葉は入れないように心がけました。
    そうしてまとめてみると、確かに上大等毗曇が反乱を起こしたとするには不自然な点が多く、また女王の死に関する部分も曖昧な部分があるというのはわかりましたが、庾信と春秋が黒幕とするには、その動機が弱い気はしました。
    善徳女王までもが金庾信や金春秋を差し置き慈蔵を唐より呼び寄せた、というのも慈蔵を大国統にしたからといって庾信や春秋をないがしろにしていたとはつながらず、また庾信は女王に重用されていたような気もしたので、その動機がよくわかりませんでした。
    今回は反乱の真相というよりも、陛下が晩年幽閉されたかもしれないということについて私は書きたかったのでそのまま著書の主張を引用しましたが、そこはわからない部分ではありました。

    > そして、0時にピダムの乱について語った記事を更新予定でして…。私はそこで、「ピダムの乱の黒幕がチュンチュとユシンと言うのは考えられない」と、この本に真っ向から対立しちゃっています(爆)

    事前にお知らせいただいたので、0時になった瞬間びゅーんとお邪魔させていただきました。
    でも、まさか黒幕にアルチョンの名前が出てくるとは!ドラマ脳で考えると、ユシン・チュンチュが黒幕疑惑より、アルチョンの方が衝撃が大きいです(爆)
    続きも楽しみにしていますね♪

    > 『徳』の字なのですが、新羅の王で『徳』の字が使われている人を見ると、「本来なら王位に就くべき生まれではなかった」と言う共通点があるように見えました。次男だったり、王の子ではなかったり、あるいはトンマンのように初の女王だったり、スンマンのように先代の従姉妹(婚姻関係無し)と言う特殊な即位だったり…。
    > もしかしたら、「本来得るはずのなかった王位を得た人物」だから、「徳があったのだ」と言うことで、「徳」の字がついたのかもしれませんねー(・∀・)

    なるほど、そんな共通点が!
    天命思想では、王になるための条件である「徳」を持っている人物は天の命令によって「天子」となるわけですから、まさに天意があって王となった人物と強調したかったのでしょうか?面白いですね。
    妄想をかきたてるコメントどうもありがとうございましたーv
    mukuge(むくげ) | URL | 2012/04/10/Tue 21:58 [編集]
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