ドラマ「善徳女王」のファンブログです

    金氏始祖伝説の残る場所 鶏林
    瞻星台には「また夜に来るからね♪」と別れを告げ、瞻星台入口前にある方位看板にしたがって道を進みます。

    距離看板

    そう、次の目的地は「鶏林」。金氏の始祖伝説の残る場所です。

    鶏林

    こうして遠くから見るとただの森なんですが、鶏林は新羅の国号として使われることもあります。

    4話 大陸の果てにある鶏林

    ドラマでもトンマンの生まれ故郷、自分が何者であるか手がかりのある土地の名称として使われていましたね。“鶏”林ってだけで、ピダムを想像しちゃいますがw

    森の中には、塀にしっかり囲まれた何やらの碑閣があります。

    鶏林 碑閣

    朝鮮時代の純祖3(1803)年に建てられたもので、金閼智生誕にまつわる記録が書いてあるそうで。その内容はこんな感じです。

    金氏の始祖伝説
    西暦65(第4代脱解王9)年、瓠公(ホゴン)が夜に月城の西里をとおっていると、大きい光が始林の中からさすのを見た。紫色の雲が空から地面に垂れさがっており、雲の中に黄金の櫃が木の枝に掛っていて、光がそこから発し、また白い鶏が木の下で鳴いていたので、このことを王に申しあげた。王がその林にお出ましになり櫃をあけて見ると、中にひとりの男の子が横になっていた。王はその男の子に名前を閼智(アルチ)と名付け、また金の櫃から生まれたとして「金」の苗字を与えた。これが後に代々新羅の王位を継ぐ金氏の始まりとなる。その後、始林と呼ばれていたこの場所は木の下で鶏が鳴いていたことから鶏林と呼ばれるようになった。

    この鶏林にはたくさんの木があって、どの木に金の櫃がかかっていたのかはわかりませんが(そもそも説話だからどこまで本当かっていうのも…←それを言っちゃ元も子もないw)、こんな木もありました。

    鶏林 古木

    かなり老朽化している古木で近寄れないようになっていましたが、なんとなく神秘的に見えて、もしかしたらこういう木の枝に金の櫃が引っ掛かっていて、金氏のご先祖様(トンマンのご先祖様♪)が現れたのかもしれません。
    あ、この写真今気付きましたが、この古木と後ろの木の隙間に瞻星台がぴったり納まってる~!偶然の産物がちょっと嬉しいです♪(携帯からだと見えないかもですみません)

    敷地内には「郷歌碑」という碑も立っていました。

    鶏林 郷歌碑

    でもこれ、地図とかには郷歌碑と書いてあって森の中での位置特定の目印にもなったんですが、観光ガイドブックや慶州の歴史の本とかにも特に何もふれていなくてなんの碑だか行くまではわからなかったんです。
    でも実物をみて、「讃耆婆郎歌 忠談師作」「一然の三国遺事」と碑文にあったので、『三国遺事』を見てみました。

    郷歌(ヒャンカ)とは新羅の詩歌であり、この郷歌はその中でも忠談という人がその師匠である耆婆(キボ)郎という人を讃えて作った歌でその内容は、『完訳 三国遺事』によるとこうです。

    耆婆郎を讃える
    仰ぎ見れば、円やかなる彼の月、白雲追いて行くにはあらじ。
    水青き川辺に、耆婆の面影宿せり。
    イロ川のがけに、郎よ、御心の端を追わんとするなり。
    ああ、栢の枝高く、霜を知らぬ花主よ。

    その作者の忠談という人の記述も、『三国遺事 景徳王 忠談師 表訓大徳』にありました。

    景徳王(新羅第35代 在位742~765)は臣下達に「立派に装った威厳のある僧をつれてこれないか」と命じ、やってきたのが耆婆郎徒の忠談だった。慶州南山の三華嶺の弥勒世尊にお茶を煎じて供養してから帰ってくる忠談を景徳王はよろこばしく迎えて、忠談が背負っていた筒を開けてみると茶具が入っていた。王が「私にもお茶を一杯くれないか」というと忠談は直ちに茶を煎じてささげたが、茶の味が変わっており、茶器からは芳しい香りが漂ってきた。 王が「師の耆婆郎をほめ讃えた郷歌の歌意がすこぶる高尚だといっているが、はたしてそうか」と聞くと、忠談は「さようでございます」と答えた。「それならば私のために民を安ずる歌を作ってくれ」と王がいうと、忠談はただちに命に応じ歌を作ってさしあげた。王はこれを高く評価して忠談を王師に封じようとしたが、忠談は再拝して辞しながら授けなかったという。

    韓国の茶道が新羅の花郎によって始まったともいえる記述だそうですが、善徳女王の治世に唐より茶が持たらされたとも聞きます。
    三品章英氏著『新羅花郎の研究』では「花郎茶道」のような儀礼が存在していたともあり、善徳女王の治世に持たされた茶でそののちも花郎茶道という形で花郎の風流や作法、精神哲学が伝わっていったのでしょうか。 時代がさがるにつれ花郎という組織は形骸化しますが、こういう形でも花郎の足跡は残されていった…と思うとときめきます(笑)


    さて、森の奥にさらに足を進めると、見えてきました、またまた古墳。

    鶏林 奈勿王陵

    奈勿王陵
    奈勿王は新羅第17代王(在位 356~402)で、金氏としては味鄒王につぐ2番目の王であり、それ以降は統一新羅時代末期に一時朴氏の王に王位を譲るまで、金氏の子孫が王位を引き続きます。
    いつものように数えると、トンマンのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんですね。たまにはドラマのピダムからも数えてみると、ピダムのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん(またはおばあちゃん?)のお父さんです(笑)
    ここに立っていた説明書きによると、奈勿王は中国より文物を受け入れ、また数回に渡って倭寇の侵入を撃退するなど外交と国防につとめ、古代国家としての体制を確立した王であったようです。

    鶏林 奈勿王陵と瞻星台

    奈勿王陵の向こう側に瞻星台が見えます。『三国遺事 王暦』に「陵は占星台の西南がわにある」とありますが、字が違いますが占星台を瞻星台とすると、記述どおり西南にあることになります。

    そして私はこの森をしばし彷徨うこととなります…サダハムの木を探して。
    (出発前にサダハムの木は鶏林のところにあると書いてあった情報を鵜呑みにして、ずっとここばかり探しておりました。。。)
    さて、私はサダハムの木に会えるのでしょうか!?笑

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